【三十一話 成村強力の学士に逢ふ事】
古文:昔、成村といふ相撲ありけり。時に、国々の相撲ども、上り集まりて、相撲節待ちけるほど、
現代:昔、成村という相撲力士がいた。ある時に、諸国の相撲力士たちが、上京して集まり、相撲節(という行事を)待っていたところ、
古文:朱雀門に集まりて、涼みけるが、そのへん遊びゆくに、大学の東門を過ぎて、南ざまにゆかんとしけるを、
現代:(平安京の正面入口である)朱雀門に集まり、涼んでいたが、その辺りに遊びに行こうとして、大学(という建物の)東門を過ぎて、南の方へ行こうとしていたところを、
古文:大学の衆どもも、あまた東の門に出でて、涼みて立てりけるに、この相撲どもの過ぐるを、通さじとて、
現代:大学学士たちも、大勢で東門に出て、涼んで立っていて、この相撲力士たちの通り過ぎようとしたものを、(大学学士は)通すまいとして、
古文:「鳴り制せん。鳴り高し」と言ひて、たちふたがりて、通さざりければ、
現代:「(音の)鳴りを制しなさい(静かにしろという意味)。(音の)鳴りが高いぞ」と言って、立ちふさがって、通さなかったので、
古文:さすがにやごつなき所の衆どものすることなれば、破りてはえ通らぬに、
現代:さすがに上品な(大学のような)所の人たちがすることなので、(相撲力士たちは)無理矢理には通らないで、
古文:丈低らかなる衆の、冠・うへのきぬ、異人よりはすこしよろしきが、中にすぐれて出で立ちて、いたく制するがありけるを、成村は見つめてけり。
現代:(大学学士のうち)背丈の低い人で、冠(かんむり)と上着が、他の人よりも少し高級で、中心に目立って、ひときわ制止する(大学学士の)人がいるのを、(相撲力士の)成村は見つめていた。
古文:「いざいざ帰りなん」とて、もとの朱雀門に帰りぬ。
現代:「さあさあ帰ろう」といって、(相撲力士たちは)もとの朱雀門に帰った。
古文:そこにていふ、「この大学の衆、にくきやつどもかな。何の心に、我らをば通さじとはするぞ。ただ通らんと思ひつれども、さもあれ、今日は通らで、明日通らんと思ふなり。
現代:そこで言うには、「この大学学士は、憎い奴だな。何を思って、我々を通すまいとするのだ。ただ(相手に遠慮せずに)押し通ろうとも思ったが、さもあれ、今日は通らないが、明日は通ろうと思う」
古文:丈低やかにて、中にすぐれて『鳴り制せん』と言ひて、通さじと立ちふたがる男、にくきやつなり。
現代:背丈の低めの人で、大勢の中で目立って『(音の)鳴りを制しなさい(静かにしろという意味)』と言って、通すまいと立ちふさがった男は、憎い奴だ。
古文:明日、通らんにも、かならず、今日のやうにせんずらん。
現代:明日、押し通る時に、かならず、今日の様に(相撲力士たちが、大学学士に遠慮)しないだろう。
古文:なにぬし、その男が尻鼻、血あゆばかり、かならず蹴給へ」と言へば、
現代:おぬし、その(大学学士の)男の尻先を、血が流れるばかりに、必ず蹴ってくれ」と言ったので、
古文:さ、いはるる相撲、脇をかきて、「おのれが蹴てんには、いかにも生かじものを。辛くてこそ生かめ」と言ひけり。
現代:そのように、言われた相撲力士は、脇をかいて、「俺が蹴ろうものには、どうして生きているものか。ひどい目に合うぜ」
古文:この尻蹴よといはるる相撲は、おぼえある力、こと人よりはすぐれ、走り疾くなどありけるをみて、成村もいふなるけり。
現代:この尻を蹴りなさいと言われた相撲力士は、有名な力士で、特に他人よりも強く、走るのも速いのを見て、成村も言ったのだ。
古文:さて、その日は、おのおの家々に帰りぬ。またの日になりて、昨日参らざりし相撲など、あまた召し集めて、人がちになりて、
現代:さて、その日は、それぞれは家に帰った。また翌日になって、昨日は来なかった相撲力士たちを、たくさん呼び集めて、集団になって、
古文:通らんとかまふるを、大学の衆も、さや心得にけん、きのふよりは人おほくなりて、かしがましう「鳴り制せん」と言ひたてけるに、
現代:(大学学士のいる東門を)通ろうと(相撲力士たちが)構えると、大学学士の人たちも、そのように予想していたのだろう、昨日よりは人が多くなっていて、大声で「静かにしろ」と言いたてたので、
古文:この相撲ども、うち群れて、あゆみかかりたり。
現代:この相撲力士たちは、集団で、歩み寄っていった。
古文:きのふ、すぐれて制せし大学の衆、例のことなれば、すぐれて、大路を中に立て「過ぐさじ」と思ふけしきしたり。
現代:昨日、ひときわ制止した大学学士たちは、いつものことなので、ひときわ、大通りの中心に立って「通さないぜ」と思っている気配がした。
古文:成村、「尻蹴よ」と言ひつる相撲に、目をくはせければ、この相撲、人より丈高く大きに、若く勇みたるをのこにて、くくり高やかにかき上げて、さし進み、歩み寄る。
現代:成村が、「尻を蹴ろ」と言った相撲力士に、目配せをしたので、この相撲力士は、人よりも背丈が大きく、若く勇敢な男で、(衣服の)括りを高く上げて、前進し、(大学学士へ)歩み寄った。
古文:それに続きて、この相撲も、ただ通りに通らんとするを、かの衆どもも、通さじとするほどに、尻蹴んとする相撲、かくいふ衆に走りかかりて、蹴倒さんと、足をいたくもたげるを、
現代:それに続いて、この相撲力士も、ただ(強引に)通ろう通ろうとするので、この大学学士たちも、通すまいとしていて、尻を蹴ろうとする相撲力士が、話題の大学学士に走りかかって、蹴り倒そうと、足を高く持ち上げたところを、
古文:この衆は、目をかけて、背をたはめてちがひければ、蹴はづして、足の高くあがりて、のけざまになるやうにしたる足を、大学の衆とりてけり。
現代:この大学学士は、しっかりと見て、背を低くして避けたので、(相撲力士は)蹴り外して、足が高く上がって、のけ反るようにした足を、大学学士は捕らえた。
古文:その相撲を、ほそき杖などを人の持ちたるやうに、ひきさげて、かたへの相撲に、走りかかりければ、
現代:その相撲力士を、(大学学士は)細い杖などを人が持つように、引き下げて、そばの相撲力士に、走りかかったので、
古文:それを見て、かたへの相撲逃げけるを、追ひかけて、その手にさげたる相撲をば投げければ、ふりぬきて、二三段ばかり投げられて、倒れ伏しにけり。
現代:それを見て、そばの相撲力士が逃げて、(大学学士が)追いかけて、その手に下げている相撲力士をぶん投げたので、(大学学士が力一杯)振り抜いて、20メートルから30メートルばかり投げられて、倒れた。
古文:身くだけて、起きあがるべくもなくなりぬ。それをば知らず、成村がある方ざまへ、走りかかりたれば、成村、目をかけて、逃げけり。
現代:(相撲力士は)全身が砕けて、起き上がることができなくなった。それ(ぶん投げた相撲力士が気絶したこと)には気を留めないで、(大学学士が)成村のいる方向へ、走ってきたので、成村は、しっかりと見ていて、逃げた。
古文:心もおかず追ひければ、朱雀門の方ざまに走りて、脇の門より走り入るを、やがてつめて、走りかかりければ、
現代:夢中で追うので、朱雀門の方向へ走って、門の脇から走り入ったところで、やがて(距離を)詰めてきて、走りかかったので、
古文:「とらへられぬ」と思ひて、式部省の築地越えけるを、引きとどめんとて、手をさしやりたりけるに、
現代:(成村が)「捕まってしまう」と思い、式部省の(建物の)築地壁を越えようとして、(大学学士が)引き留めようとして、手を差し指伸ばしたところ、
古文:はやく越えければ、異所をばえとらへず、片足すこしさがりたりけるきびすを、沓加へながらとらへたりければ、
現代:(成村が)速く超えようとして、足の踏場がわからずに、片足の少し下がっていた踵を、(大学学士が)沓ごと捕まえて、
古文:沓のきびすに、足の皮をとり加へて、沓のきびすを刀にてきりたるやうに、引ききりて、とりてけり。
現代:沓の踵を、足の皮ごと、沓の踵を刃物で切るように、引き切って、捕まえたのだ。
古文:成村、築地のうちに越え立ちて、足を見ければ、血走りて、とどまるべくもなし。
現代:成村は、(飛び越えた)築地壁の内側に立って、足を見ると、血が流れていて、止まらなかった。
古文:沓のきびす、切れて失せにけり。
現代:沓の踵が、切れて消失していた。(それぐらい、学士の腕力は強かったのだ)
古文:我を追ひける大学の衆、あさましく力ある者にてぞありけるなめり。
現代:(場面転換 成村が上司に事後報告している) 我(成村)を追った大学学士は、すさまじい腕力のある人間だったようです。
古文:尻蹴つる相撲をも、人杖につかひて、投げくだくめり。世の中ひろければ、かかる者のあるこそ恐ろしき事なれ。
現代:尻を蹴る相撲力士をも、杖のように扱って、投げ倒しました。世の中は広く、このような人間は恐ろしいものです。
古文:投げられたる相撲は死に入りたりければ、物にかきいれて、になひてもてゆきけり。
現代:投げられた相撲力士は死にそうだったので、荷物にまとめて、担いで移動させました。
古文:この成村、方の将に、
現代:この成村、方の将(成村の上司に当たり、平安京の警備担当の近衛中将と考えられている)に、
古文:「しかじかの事なん候ひつる。かの大学の衆は、いみじき相撲にさぶらふめり。成村と申すとも、あふべき心地仕らず」と語りければ、
現代:「しかじかの事がありました。あの大学学士は、素晴らしい相撲力士になるでしょう。いくら成村でも、互角に戦える気がしません」と語ったので、
古文:方の将は、宣旨申し下して、
現代:近衛中将は、宣旨(せんじ 政府通達のこと)を出して、
古文:「式部の丞なりとも、その道にたへたらんはといふことあれば、まして大学の衆は何でふことかあらん」とて、
現代:「式部省の役人であっても、その道(武道)に優れているのであれば(近衛府の役人として採用すべきだ)、まして大学学士ならばどうして採用しないだろうか。(いや、採用すべきだろう)」といって、
古文:いみじう尋ね求められけれども、その人とも聞こえずして、やみにけり。
現代:とにかく尋ね求めたが、その人間は見つからず、中止してしまった。
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