和泉式部日記

和泉式部日記

和泉式部日記

和泉式部日記

【出典作品】:和泉式部日記
【さくひん】:いずみしきぶにっき
【作者編者】:和泉式部
【さくしゃ】:いずみしきぶ
【成立時代】:平安
【出典紹介】:師宮敦道(そちのみやあつみち)親王との恋愛を主題に、物語風に描かれた和泉式部の日記。
【出題頻度】:B

共有です。クリックでシェアできますよ。


目次です。クリックで移動できますよ。
スポンサーさん

原文

和泉式部日記


夢よりもはかなき世の中を、嘆きわびつつ明かし暮すほどに、四月十余日にもなりぬれば、木の下暗がりもてゆく。築地の上の草あをやかなるも、人はことに目もとどめぬを、あはれとながむるほどに、近き透垣のもとに人のけはひすれば、誰ならむと思ふほどに、さし出でたるを見れば、故宮にさぶらひし小舎人童なりけり。
 あはれにもののおぼゆるほどに来たれば、「などか久しく見えざりつる。遠ざかる昔のなごりにも思ふを」など言はすれば、「そのこととさぶらはでは、馴れなれしきさまにや、とつつましうさぶらふうちに、日ごろは山寺にまかり歩きてなむ、いと頼りなくつれづれに思ひたまうらるれば、御かはりにも見たてまつらむとてなむ、師の宮に参りてさぶらふ」と語る。「いとよきことにこそあなれ。その宮は、いとあてにけけしうおはしますなるは。昔のやうにはえしもあらじ」など言へば、「しかおはしませど、いとけ近くおはしまして、『つねに参るや』と問はせおはしまして、『参り侍り』と申しさぶらひつれば、『これもて参りて、いかが見給ふ、とてたてまつらせよ』とのたまはせつる」とて、橘の花をとり出でたれば、「昔の人の」と言はれて、「さらば参りなむ。いかが聞こえさすべき」と言へば、ことばにて聞えさせむもかたはらいたくて、「なにかは、あだあだしくもまだ聞え給はぬを、はかなきことをも」と思ひて、
  薫る香によそふるよりはほととぎす聞かばやおなし声やしたると
と聞えさせたり。
 まだ端におはしましけるに、この童、かくれの方に気色ばみけるけはひを御覧じつけて、「いかに」と問はせ給ふに、御文をさし出でたれば、御覧じて、
  おなじ枝に鳴きつつをりしほととぎす声は変らぬものと知らずや
と書かせ給ひて、賜ふとて、「かかること、ゆめ人に言ふな。すきがましきやうなり」とて、入らせ給ひぬ。
 もて来たれば、をかし、と見れど、つねは、とて御返り聞えさせず。
 賜はせそめては、また、
  うち出ででもありにしものをなかなかに苦しきまでも嘆く今日かな
とのたまはせたり。もとも心深からぬ人にて、慣らはぬつれづれのわりなくおぼゆるに、はかなきことも目とどまりて、御返り、
  今日の間の心にかへて思ひやれながめつつのみすぐす心を




 かくて、しばしばのたまはするに、御返りも時々聞えさす。つれづれもすこしなぐさむ心地してすぐす。
 また、御文あり。ことばなどすこしこまやかにて、
  「語らはばなぐさむこともありやせむ言ふかひなくは思はざらなむ
あはれなる御物語り聞えさせに、暮れにはいかが」とのたまはせたれば、
  「なぐさむと聞けばかたらまほしけれど身の憂きことぞ言ふかひもなき
生ひたる蘆にて、かひなくや」と聞えつ。
 思ひかけぬほどに、しのびてとおぼして、昼より御心まうけして、日ごろも御文とりつぎて参らする右近の尉なる人を召して、「しのびて、物へ行かむ」とのたまはすれば、さなめりと思ひてさぶらふ。あやしき御車にておはしまいて、「かくなむ」と言はせ給へれば、女、いと便なき心地すれど、「なし」と聞えさすべきにもあらず、昼も御返り聞えさせつれば、ありながら帰したてまつらむも、なさけなかるべし。ものばかり聞えむ、と思ひて、西の妻戸に円座さし出でて、入れたてまつるに、世の人の言へばにやあらむ、なべての御樣にはあらずなまめかし。これも、心づかひせられて、ものなど聞ゆるほどに、月さし出でぬ。いとあかし。「ふるめかしう奥まりたる身なれば、かかるところにゐ慣らはぬを、いとはしたなき心地するに、そのおはするところにすゑ給へ。よも、さきざき見給ふらむ、人のやうにはあらじ」とのたまへば、「あやし。今宵のみこそ、聞えさすると思ひ侍れ。さきざきはいつかは」など、はかなきことに聞えなすほどに、夜もやうやう更けぬ。かくて明かすべきにや、とて、
  はかもなき夢をだに見で明かしてはなにをか後の世語りにせむ
とのたまへば、
  「夜とともにぬるとは袖を思ふ身ものどかに夢を見る宵ぞなき
まいて」と聞ゆ。
 「かろがろしき御歩きすべき身にてもあらず。なさけなきやうにはおぼすとも、まことにものおそろしきまでこそおぼゆれ」とて、やをらすべり入り給ひぬ。
 いとわりなきことどもをのたまひ契りて、明けぬれば、帰り給ひぬ。すなはち、「今のほどもいかが。あやしうこそ」とて、
  恋と言へば世のつねのとや思ふらむけさの心はたぐひだになし
御返り、
  世のつねのことともさらに思ほえずはじめてものを思ふあしたは
と聞えても、あやしかりける身のありさまかな、故宮の、さばかりのたまはせしものを、と悲しくて思ひ乱るるほどに、例の童来たり。御文やあらむ、と思ふほどに、さもあらぬを、心憂し、と思ふほどもすきずきしや。帰り参るに聞ゆ。
  待たましもかばかりこそはあらましか思ひもかけぬ今日の夕暮れ
御覧じて、げに、いとほしうもとおぼせど、かかる御歩きさらにせさせ給はず。

 北の方も、例の人の仲のやうにこそおはしまさねど、夜ごとに出でむも、あやしとおぼしめすべし。故宮の御はてまでそしられさせ給ひしも、これによりてぞかし、とおぼしつつむも、ねんごろにはおぼされぬなめりかし。暗きほどにぞ、御返りある。
  「ひたぶるに待つとも言はばやすらはでゆくべきものを君が家路に
おろかにや、と思ふこそ苦しけれ」とあるを、「なにか、ここには、
  かかれどもおぼつかなくも思ほえずこれも昔のえにこそあるらめ
と思ひ給ふれど、なぐさめずは、つゆ」と聞えたり。
 おはしまさむとおぼしめせど、うひうひしうのみおぼされて、日ごろになりぬ。




つごもりの日、女、
  ほととぎす世にかくれたる忍び音をいつかは聞かむ今日もすぎなば
と聞えさせたれど、人々あまたさぶらひけるほどにて、え御覧ぜさせず。つとめて持て参りたれば、見給ひて、
  忍び音は苦しきものをほととぎす木高き声を今日よりは聞け
とて、二三日ありて、忍びてわたらせ給へり。女は、ものへ参らむとて精進したるうちに、いと間遠なるも心ざしなきなめりと思へば、ことにものなども聞えで、仏にことづけたてまつりて、明かしつ。つとめて、「めづらかにて、明かしつる」など、のたまはせて、
  「いさやまだかかる道をば知らぬかなあひてもあはで明かすものとは
あさましく」とあり。さぞあさましきやうにおぼえしつらむ、といとほしくて、
  「よとともに物思ふ人はよるとてもうちとけて目のあふ時もなし
めづらかにも思う給へず」と聞えつ。
 又の日、「今日やものへは参り給ふ。さて、いつか返り給ふべからむ。いかに、まして、おぼつかなからむ」とあれば、
  「をりすぎてさてもこそやめさみだれてこよひあやめの根をやかけまし
とこそ思ひ給うべかりぬべけれ」と聞えて、参りて三日ばかりありて返りたれば、宮より、「いとおぼつかなくなりにければ、参りてと思ひたまふるを、いと心憂かりしにこそ、もの憂く、恥かしうおぼえて、いとおろかなるにこそなりぬべけれど、日ごろは、
  すぐすをも忘れやするとほどふればいと恋しさに今日はまけなむ
あさからぬ心のほどを、さりとも」とある、御返り、
  まくるとも見えぬものから玉かづら問ふ一すぢも絶えまがちにて
と聞えたり。
 宮、例の忍びておはしまいたり。女、さしもやは、と思ふうちに、日ごろの行ひに困じて、うちまどろみたるほどに、門をたたくに、聞きつくる人もなし。きこしめすことどもあれば、人のあるにや、とおぼしめして、やをら帰らせ給ひて、つとめて、
  「開けざりし真木の戸ぐちに立ちながらつらき心のためしとぞ見し
憂きはこれにや、と思ふもあはれになむ」とあり。よべ、おはしましけるなめりかし、心もなく寝にけるものかな、と思ひて、御返り、
  「いかでかは真木の戸ぐちをさしながらつらき心のありなしを見む
おしはからせ給ふめるこそ。見せたらば」とあり。こよひもおはしまさまほしけれど、かかる御歩きを人々も制しきこゆるうちに、内の大殿、春宮などの聞しめさむこともかろがろしうおぼしつつむほどに、いとはるかなり。

 雨うち降りて、いとつれづれなる日ごろ、女は雲間なきながめに、世の中をいかになりぬるならむとつきせずながめて、すきごとする人々はあまたあれど、ただ今はともかくも思はぬを、世の人はさまざまに言ふめれど、身のあればこそ、と思ひてすぐす。
 宮より、「雨のつれづれは、いかに」とて、
  おほかたにさみだるるとや思ふらむ君恋ひわたる今日のながめを
とあれば、折を過ぐし給はぬを、をかしと思ふ。あはれなる折しもと思ひて、
  しのぶらむものとも知らでおのがただ身を知る雨と思ひけるかな
と書きて、紙の一重をひき返して、
  「ふれば世のいとど憂さのみ知らるるに今日のながめに水まさらなむ
待ちとる岸や」と聞えたるを御覧じて、たち返り、
  「なにせむに身をさへ捨てむと思ふらむあまのしたには君のみやふる
誰も憂き世をや」とあり。




五月五日になりぬ。雨なほやまず。
 ひと日の御返りの、つねよりももの思ひたるさまなりしを、あはれとおぼし出でて、いたう降り明かしたるつとめて、「今宵の雨の音は、おどろおどろしかりつるを」など、のたまはせたれば、
  「夜もすがらなにごとをかは思ひつる窓打つ雨の音を聞きつつ
かげに居ながら、あやしきまでなむ」と聞えさせたれば、なほ言ふかひなくはあらずかし、とおぼして、御返り、
  われもさぞ思ひやりつる雨の音をさせるつまなき宿はいかにと
 昼つ方、川の水まさりたりとて、人々見る。宮も御覧じて、「ただ今いかが。水見になむ行き侍る。
  大水の岸つきたるにくらぶれど深き心はわれぞまされる
さは知りたまへりや」とあり。御返り、
  「今はよもきしもせじかし大水の深き心は川と見せつつ
かひなくなむ」と聞えさせたり。
 おはしまさむとおぼしめして、薫物などせさせ給ふほどに、侍従の乳母、まうのぼりて、「出でさせ給ふは、何処ぞ。このこと人々申すなるは、なにのやうごとなき際にもあらず。つかはせ給はむとおぼしめさむ限りは、召してこそつかはせ給はめ。かろがろしき御歩きは、いと見苦しきことなり。そがなかにも、人々あまた来かよふ所なり。便なきことも、出でまうで来なむ。すべてよくもあらぬことは、右近の尉なにがしがしはじむることなり。故宮をも、これこそ率て歩きたてまつりしか。よる夜中と歩かせ給ひては、よきことやはある。かかる御ともに歩かむ人は、大殿にも申さむ。世の中は、今日あすとも知らず変りぬべかめるを、殿のおぼしおきつることもあるを、世の中御覧じはつるまでは、かかる御歩きなくてこそおはしまさめ」と、聞え給へば、「何処か行かむ、つれづれなれば、はかなきすさびごとするにこそあれ。ことごとしう人は言ふべきにもあらず」とばかりのたまひて、あやしうすげなきものにこそあれ、さるはいとくち惜しうなどはあらぬ物にこそあれ、呼びてやおきたらまし、とおぼせど、さても、まして聞きにくくぞあらむ、とおぼし乱るるほどに、おぼつかなうなりぬ。
 からうじておはしまして、「あさましく、心よりほかにおぼつかなくなりぬるを、おろかになおぼしそ。御あやまちとなむ思ふ。かく参り来ること便悪し、と思ふ人々あまたあるやうに聞けば、いとほしくなむ、大方もつつましきうちに、いとどほど経ぬる」と、まめやかに御物語りし給ひて、「いざたまへ、こよひばかり、人も見ぬ所あり、心のどかにものなども聞えむ」とて、車をさし寄せて、ただ乗せに乗せ給へば、われにもあらで乗りぬ。人もこそ聞けと思ふ思ふ行けば、いたう夜更けにければ、知る人もなし。やをら人もなき廊にさし寄せて、下りさせ給ひぬ。月もいとあかければ、「下りね」としひてのたまへば、あさましきやうにて下りぬ。
 「さりや、人もなき所ぞかし。今よりは、かやうにてを聞えむ。人などのあるをりにや、と思へば、つつましう」など、物語りあはれにし給ひて、明けぬれば、車寄せて乗せ給ひて、「御送りにも参るべけれど、あかくなりぬべければ、外にありと人の見むもあいなくなむ」とて、とどまらせ給ひぬ。
 女、道すがら、あやしの歩きや、人いかに思はむ、と思ふ。あけぼのの御姿の、なべてならず見えつるも、思ひ出でられて、
  「宵ごとに帰しはすともいかでなほあかつき起きを君にせさせじ
苦しかりけり」とあれば、
  「朝露のおくる思ひにくらぶればただに帰らむ宵はまされり
さらにかかることは聞かじ。よさりは方塞がりたり。御迎へに参らむ」とあり。あな見苦し、つねには、と思へども、例の車にておはしたり。さし寄せて、「早や、早や」とあれば、さも見苦しきわざかな、と思ふ思ふゐざり出でて乗りぬれば、昨夜の所にて物語りし給ふ。
 上は、院の御方にわたらせ給ふ、とおぼす。
 明けぬれば、「鳥の音つらき」とのたまはせて、やをら奉りておはしぬ。道すがら、「かやうならむ折は必ず」とのたまはすれば、「つねはいかでか」ときこ聞ゆ。おはしまして、帰らせ給ひぬ。
 しばしありて、御文あり。「けさは、鳥の音におどろかされて、にくかりつれば、殺しつ」とのたまはせて、鳥の羽に、御文をつけて、
  殺してもなほあかぬかなにはとりの折ふし知らぬけさの一声
御返し、
  「いかにとはわれこそ思へ朝な朝な鳴き聞かせつる鳥のつらさは
と思ひたまふるも、にくからぬにや」とあり。
 二三日ばかりありて、月のいみじうあかき夜、端に居て見るほどに、「いかにぞ、月は見給ふや」とて、
  わがごとく思ひは出づや山の端の月にかけつつ嘆く心を
例よりもをかしきうちに、宮にて、月のあかかりしに人や見けむと思ひ出でらるるほどなりければ、御返し、
  ひと夜見し月ぞと思へばながむれど心もゆかず目は空にして
と聞えて、なほひとりながめ居たるほどに、はかなくて明けぬ。
 またの夜、おはしましたりけるも、こなたには聞かず。人々方々にすむ所なりければ、そなたに来たりける人の車を、車侍り、人の来たりけるにこそ、とおぼしめす。むつかしけれど、さすがに絶えはてむとはおぼさざりければ、御文つかはす。「昨夜は参り来たりとは聞き給ひけむや。それもえ知り給はざりしにや、と思ふにこそ、いといみじけれ」とて、
  松山に波高しとは見てしかど今日のながめはただならぬかな
とあり。雨降るほどなり。あやしかりけることかな、人の空ごとを聞えたりけるにや、と思ひて、
  君をこそ末の松とは聞きわたれひとしなみには誰か越ゆべき
と聞えつ。
 宮は、ひと夜のことを、なま心憂くおぼされて、久しくのたまはせで、かくぞ。
  つらしともまた恋しともさまざまに思ふことこそひまなかりけれ
御返りは、「聞こゆべきことなきにはあらねど、わざとおぼしめさむも、恥かしうて、
  あふことはとまれかうまれ嘆かじをうらみ絶えせぬ仲となりなば」
とぞ聞えさする。
 かくて、のちもなほ、間遠なり。
 月のあかき夜、うちふして、うらやましくも、などながめらるれば、宮に聞ゆ。
  月を見て荒れたる宿にながむとは見に来ぬまでも誰に告げよと
樋洗童して、「右近の尉にさしとらせて来」とてやる。お前に、人々して御物語りしておはしますほどなりけり。人まかでなどして、右近の尉さし出でたれば、「例の車に装束せさせよ」とて、おはします。
 女は、まだ端に、月ながめて居たるほどに、人の入り来れば、簾うち下ろして居たれば、例のたびごとに目馴れてもあらぬ御すがたにて、御直衣などのいたう萎えたるしも、をかしう見ゆ。ものものたまはで、ただ御扇に文を置きて、「御使ひの取らで参りにければ」とてさし出でさせ給へり。女、もの聞こえむにも、ほど遠くて便なければ、扇をさし出でて、取りつ。宮も、のぼりなむとおぼしたり。前栽のをかしきなかに歩かせ給ひて、「人は草葉の露なれや」などのたまふ。いとなまめかし。近う寄らせ給ひて、「こよひはまかりなむよ。誰にしのびつるぞと見あらはさむとてなむ。あすは物忌みと言ひつれば、なからむもあやしと思ひてなむ」とて、帰らせ給へば、
  こころみに雨も降らなむ宿すぎて空行く月の影やとまると
人の言ふほどよりもこめきて、あはれにおぼさる。「あが君や」とて、しばしのぼらせ給ひて、出でさせ給ふとて、
  あぢきなく雲居の月にさそはれて影こそ出づれ心やは行く
とて返らせ給ひぬるのち、ありつる御文見れば、
  我ゆゑに月をながむと告げつればまことかと見に出でて来にけり
とぞある。なほいとをかしうもおはしけるかな、いかで、いとあやしきものにきこ聞しめしたるを、きこしめしなほされにしがな、と思ふ。
 宮も、言ふかひなからず、つれづれの慰めにとはおぼすに、ある人々聞ゆるやう、「このころは、源少将なむいますなる、昼もいますなり」と言へば、「また治部卿もおはすなるは」など口々に聞ゆれば、いとあはあはしうおぼされて、久しう御文もなし。

 小舎人童来たり。樋洗童例も語らへば、ものなど言ひて、「御文やある」と言へば、「さもあらず。ひと夜おはしましたりしに、御門に車のありしを御覧じて、御消息もなきにこそはあめれ。人おはしまし通ふやうにこそ聞しめしげなれ」など言ひて去ぬ。
 「かくなむ言ふ」と聞きて、いと久しう、なによかよと聞えさすることもなく、わざと頼みきこゆることこそなけれ、時々もかくおぼし出でむほどは絶えであらむとこそ思ひつれ、ことしもこそあれ、かくけしからぬことにつけてかくおぼされぬる、と思ふに、身も心憂くて、「なぞもかく」と嘆くほどに、御文あり。
 「日ごろは、あやしき乱り心地のなやましさになむ。いつぞやも参り来て侍りしかど、折悪しうてのみ帰れば、いと人気なき心地してなむ、
  よしやよし今はうらみじ磯に出でてこぎ離れ行くあまの小舟を」
とあれば、あさましきことどもを聞しめしたるに、聞えさせむも恥かしけれど、このたびばかりとて、
  袖のうらにただわがやくとしほたれて舟流したるあまとこそなれ
と聞えさせつ。




 かく言ふほどに、七月になりぬ。
 七日、すきごとどもする人のもとより、たなばた、ひこぼしといふことどもあまたあれど、目も立たず。かかる折に、宮のすごさずのたまはせしものを、げにおぼしめし忘れにけるかな、と思ふほどにぞ、御文ある。見れば、ただかくぞ。
  思ひきや七夕つ女に身をなして天の河原をながむべしとは
とあり。さは言へど、過ごし給はざめるは、と思ふもをかしうて、
  ながむらむ空をだに見ず七夕に忌まるばかりのわが身と思へば
とあるを、御覧じても、なほえ思ひはなつまじうおぼす。

 つごもり方に、「いとおぼつかなくなりにけるを、などか時々は。人数におぼさぬなめり」とあれば、女、
  寝覚めねば聞かぬなるらむ荻風は吹かざらめやは秋の夜な夜な
と聞えたれば、たち返り、「あが君や、寝覚めとか。『もの思ふ時は』とぞ、おろかに、
  荻風は吹かばいも寝で今よりぞおどろかすかと聞くべかりける」

 かくて二日ばかりありて、夕暮れに、にはかに御車をひき入れて下りさせ給へば、また、見えたてまつらねば、いと恥かしう思へどせむかたなく、なにとなきことなどのたまはせて、帰らせ給ひぬ。
 そののち、日ごろになりぬるに、いとおぼつかなきまで、音もし給はねば、
  「くれぐれと秋の日ごろのふるままに思ひ知られぬあやしかりしも
むべ人は」と聞えたり。「このほどに、おぼつかなくなりにけり。されど、
  人はいさわれは忘れずほどふれど秋の夕暮れありしあふこと
とあり。
 あはれにはかなく、頼むべくもなきかやうのはかなしごとに、世の中をなぐさめてあるも、うち思へばあさましう。




 かかるほどに八月にもなりぬれば、つれづれもなぐさめむとて、石山にまうでて、七日ばかりもあらむとてまうでぬ。
 宮、久しうもなりぬるかな、とおぼして、御文つかはすに、童「ひと日まかりてさぶらひしかば、石山になむ、このごろおはしますなる」と申さすれば、「さは、今日は暮れぬ。つとめて、まかれ」とて、御文書かせ給ひて、たまはせて、石山に行きたれば、仏の御前にはあらで、古里のみ恋しくて、かかる歩きもひきかへたる身のありさまと思ふに、いともの悲しうて、まめやかに仏を念じたてまつるほどに、高欄の下の方に、人のけはひのすれば、あやしくて、見下ろしたれば、この童なり。 
 あはれに、思ひかけぬ所に来たれば、「なにぞ」と問はすれば、御文さし出でたるも、つねよりもふとひき開けて見れば、「いと心深う入り給ひにけるをなむ。など、かくなむとものたまはせざりけむ。ほだしまでこそおぼさざらめ、おくらかし給ふ、心憂く」とて、
  「関越えて今日ぞ問ふとや人は知る思ひ絶えせぬ心づかひを
いつか、出でさせ給ふ」とあり。
 近うてだに、いとおぼつかなくなし給ふに、かくわざとたづね給へる、をかしうて、
  「あふみぢは忘れぬめりと見しものを関うち越えて問ふ人や誰
いつか、とのたまはせたるは、おぼろけに思ひたまへ入りにしかも
  山ながら憂きはたつとも都へはいつか打出の浜は見るべき」
と聞えたれば、「苦しくとも行け」とて、「問ふ人とか。あさましの御もの言ひや。
  たづね行くあふ坂山のかひもなくおぼめくばかり忘るべしやは
まことや、
  憂きによりひたやごもりと思ふともあふみの海は打ち出てを見よ
『憂きたびごとに』とこそ言ふなれ」とのたまはせたれば、ただかく、
  関山のせきとめられぬ涙こそあふみの海とながれ出づらめ
とて、端に、
  こころみにおのが心もこころみむいざ都へと来てさそひみよ
思ひもかけぬに、行くものにもがなとおぼせど、いかでかは。
 かかるほどに、出でにけり。「さそひみよ、とありしを、いそぎ出で給ひにければなむ。
  あさましや法の山路に入りさして都の方へ誰さそひけむ」
御返し、ただかくなむ。
  山を出でて冥き道にぞたどり来し今ひとたびのあふことにより

 つごもり方に、風いたく吹きて、野分立ちて雨など降るに、つねよりももの心細くてながむるに、御文あり。例の、折知りがほにのたまはせたるに、日ごろの罪も許しきこえぬべし。
  嘆きつつ秋のみ空をながむれば雲うちさわぎ風ぞはげしき
御返し、
  秋風は気色吹くだに悲しきにかき曇る日は言ふ方ぞなき
げにさぞあらむかしとおぼせど、例のほど経ぬ。




 九月廿日あまりばかりの有明の月に、御目さまして、いみじう久しうもなりにけるかな、あはれ、この月は見るらむかし、人やあるらむ、とおぼせど、例の童ばかりを御供にておはしまして、門をたたかせ給ふに、女、目をさまして、よろづ思ひつづけ臥したるほどなりけり。すべてこのころは、折からにや、もの心細く、つねよりもあはれにおぼえて、ながめてぞありける。あやし、誰ならむ、と思ひて、前なる人を起こして問はせむとすれど、とみにも起きず。からうじて起こしても、ここかしこのものにあたり騒ぐほどに、たたきやみぬ。帰りぬるにやあらむ、いぎたなしとおぼされぬるにこそ、もの思はぬさまなれ、おなし心にまだねざりける人かな、誰ならむ、と思ふ。からうじて起きて、「人もなかりけり。空耳をこそ聞きおはさうじて、夜のほどろにまどはかさるる、さわがしの殿のおもとたちや」とて、またねぬ。
 女は寝で、やがて明かしつ。いみじう霧りたる空をながめつつ、明かくなりぬれば、このあかつき起きのほどのことどもを、ものに書きつくるほどにぞ、例の御文ある。ただ、かくぞ。
  秋の夜の有明の月の入るまでにやすらひかねて帰りにしかな
いでや、げに、いかに口惜しきものにおぼしつらむと、思ふよりも、なほ折ふしは過ぐし給はずかし、げにあはれなりつる空の気色を見給ひける、と思ふに、をかしうて、この手習ひのやうに書きゐたるを、やがてひき結びてたてまつる。
 御覧ずれば、
「風の音、木の葉の残りあるまじげに吹きたる、つねよりもものあはれにおぼゆ。ことごとしうかき曇るものから、ただ気色ばかり雨うち降るは、せむかたなくあはれにおぼえて、
  秋のうちはくちはてぬべしことわりの時雨に誰か袖はからまし
嘆かしと思へど、知る人もなし。草の色さへ見しにもあらずなり行けば、しぐれむほどの久しさもまだきにおぼゆる風に、心苦しげにうちなびきたるには、ただ今も消えぬべき露のわが身ぞあやふく、草葉につけてかなしきままに、奥へも入らで、やがて端に臥したれば、つゆ寝らるべくもあらず。人はみなうちとけ寝たるにそのことと思ひ分くべきにあらねば、つくづくと目をのみさまして、名残りなううらめしう思ひ臥たるほどに、雁のはつかにうち鳴きたる。人はかくしもや思はざるらむ、いみじうたへがたき心地して、
  まどろまであはれ幾夜になりぬらむただ雁がねを聞くわざにして
とのみして明かさむよりはとて妻戸をおしあけたれば、大空に、西へかたぶきたる月の影、遠くすみわたりて見ゆるに、霧りたる空の気色、鐘の声、鳥の音一つに響きあひて、さらに、過ぎにし方今行く末のことども、かかる折はあらじと、袖のしづくさへあはれにめづらかなり。
  われならぬ人もさぞ見む長月の有明の月にしかじあはれは
ただ今この門をうちたたかする人あらむ、いかにおぼえなむ、いでや、誰かかくて明かす人あらむ。
  よそにてもおなし心に有明の月を見るやとたれに問はまし」
 宮わたりにや聞えましと思ふに、おはしましたりけるよと思ふままに、たてまつりたれば、うち見給ひて、かひなくはおぼされねど、ながめゐたらむに、ふとやらむとおぼして、つかはす。女、ながめ出だしてゐたるに、もて来たれば、あへなき心地して引き開けたれば、
  「秋のうちは朽ちけるものを人もさはわが袖とのみ思ひけるかな
  消えぬべき露の命と思はずは久しき菊にかかりやはせぬ
  まどろまで雲居の雁の音を聞くは心づからのわざにぞありける
  我ならぬ人も有明の空をのみおなし心にながめけるかな
  よそにても君ばかりこそ月見めと思ひて行きしけさぞくやしき
いと開けがたかりつるをこそ」とあるに、なほもの聞えさせたるかひはありかし。

 かくて、つごもり方にぞ御文ある。日ごろのおぼつかなさなど言ひて、「あやしきことなれど、日ごろもの言ひつる人なむ遠く行くなるを、あはれと言ひつべからむことなむ一つ言はむと思ふに、それよりのたまふことのみなむ、さはおぼゆるを、一つのたまへ」とあり。あなしたりがほと思へど、「さはえ聞こゆまじ」と聞えむも、いとさかしければ、「のたまはせたることは、いかでか」とばかりにて、
  「惜しまるる涙に影はとまらなむ心も知らず秋は行くとも
まめやかには、かたはらいたきことにも侍るかな」とて、端に「さても、
  君をおきていづち行くらむわれだにも憂き世の中にしひてこそふれ」
とあれば、「思ふやうなり、と聞えむも、見知りがほなり。あまりぞおしはかり過ぐい給ふ、憂き世の中と侍るは。
  うちすてて旅行く人はさもあらばあれまたなきものと君し思はば
ありぬべくなむ」とのたまへり。




 かく言ふほどに、十月にもなりぬ。
 十月十日ほどにおはしたり。奥は暗くて恐ろしければ、端近くうち臥させ給ひて、あはれなることの限りのたまはするに、かひなくはあらず。月は、曇り曇り、しぐるるほどなり。わざとあはれなることの限りをつくり出でたるやうなるに、思ひ乱るる心地は、いとそぞろ寒きに、宮も御覧じて、人の便なげにのみ言ふを、あやしきわざかな、ここにかくてあるよ、などおぼす。あはれにおぼされて、女寝たるやうにて思ひ乱れて臥したるを、おしおどろかさせ給ひて、
  時雨にも露にもあてで寝たる夜をあやしくぬるる手枕の袖
とのたまへど、よろづにもののみわりなくおぼえて、御いらへすべき心地もせねば、ものも聞えで。ただ月影に涙の落つるを、あはれと御覧じて、「などいらへもし給はぬ。はかなきこと聞ゆるも、心づきなげにこそおぼしたれ。いとほしく」と、のたまはすれば、「いかに侍るにか、心地のかき乱る心地のみして、耳にはとまらぬにしも侍らず。よし見給へ、手枕の袖忘れ侍る折や侍る」と、たはぶれごとに言ひなして、あはれなりつる夜の気色も、かくのみ言ふほどにや。
 頼もしき人もなきなめりかしと心苦しくおぼして、「今の間いかが」とのたまはせたれば、御返し、
  けさの間に今は消ぬらむ夢ばかりぬると見えつる手枕の袖
と聞えたり。「忘れじ」と言ひつるを、をかしとおぼして、
  夢ばかり涙にぬると見つらめど臥しぞわづらふ手枕の袖

 ひと夜の空の気色の、あはれに見えしかば、心がらにや、それよりのち心苦しとおぼされて、しばしばおはしまして、ありさまなど御覧じもて行くに、世に馴れたる人にはあらず、ただいとものはかなげに見ゆるも、いと心苦しくおぼされて、あはれに語らはせ給ふに、「いとかくつれづれにながめ給ふらむを、思ひおきたることなけれど、ただおはせかし。世の中の人も便なげに言ふなり。時々参ればにや、見ゆることもなけれど、それも、人のいと聞きにくく言ふに、またたびたび帰るほどの心地のわりなかりしも、人げなくおぼえなどせしかば、いかにせまし、と思ふ折々もあれど、古めかしき心なればにや、聞えたえむことの、いとあはれにおぼえて、さりとて、かくのみはえ参り来まじきを、まことに聞くことのありて、制することなどあらば、『空行く月』にもあらむ。もしのたまふさまなるつれづれならば、かしこへはおはしましなむや。人などもあれど、便なかるべきにはあらず。もとよりかかる歩きにつきなき身なればにや、人もなき所に、つい居などもせず、行ひなどするにだに、ただひとりあれば、おなし心に物語り聞えてあらば、なぐさむことやあると思ふなり」などのたまふにも、げに、今さらさやうにならひなきありさまはいかがせむなど思ひて、一の宮のことも聞えきりてあるを、さりとて『山のあなた』にしるべする人もなきを、かくて過ぐすも明けぬ夜の心地のみすれば、はかなきたはぶれごとも、言ふ人あまたありしかば、あやしきさまにぞ言ふべかめる、さりとてことざまの頼もしき方もなし、なにかは、さてもこころみむかし、北の方はおはすれど、ただ御方々にてのみこそ、よろづのことはただ御乳母のみこそすなれ、顕證にて出でひろめかばこそはあらめ、さるべき隠れなどにあらむには、なでうことかあらむ、この濡れ衣はさりとも着やみなむ、と思ひて、「なにごともただ、われよりほかのとのみ思ひたまへつつ過ぐし侍るほどのまぎらはしには、かやうなる折たまさかにも待ちつけきこえさするよりほかのことなければ、ただいかにものたまはするままにと思ひたまふるを、よそにても見苦しきことに聞えさすらむ。ましてまことなりけりと見侍らむなむかたはらいたく」と聞ゆれば、「それは、ここにこそともかくも言はれめ。見苦しうは誰かは見む。いとよく隠れたるところつくり出でて聞えむ」など頼もしうのたまはせて、夜深く出でさせ給ひぬ。
 格子をあげながらありつれば、ただひとり端に臥しても、いかにせましと、人笑へにやあらむと、さまざまに思ひ乱れて臥したるほどに、御文あり。
  露むすぶ道のまにまに朝ぼらけぬれてぞ来つる手枕の袖
この袖のことは、はかなきことなれど、おぼし忘れでのたまふも、をかし。
  道芝の露におきぬる人によりわが手枕の袖もかわかず

 その夜の月の、いみじう明かくすみて、ここにも、かしこにも、ながめ明かして、つとめて、例の御文つかはさむとて、「童、参りたりや」と問はせ給ふほどに、女も、霜のいと白きに、おどろかされてや、
  手枕の袖にも霜はおきてけりけさうち見れば白妙にして
と聞えたり。ねたう先ぜられぬるとおぼして、
  つま恋ふとおき明かしつる霜なれば
とのたまはせたる、今ぞ人参りたれば、御気色あしうて問はせたれば、「とく参らでいみじうさいなむめり」とて取らせたれば、もて行きて、「まだこれより聞えさせ給はざりけるさきに召しけるを、今まで参らずとてさいなむ」とて、御文取り出でたり。「よべの月は、いみじかりしものかな」とて、
  寝ぬる夜の月は見るやとけさはしもおき居て待てど問ふ人もなし
げに、かれよりまづのたまひけるなめりと見るも、をかし。
  まどろまで一夜ながめし月見るとおきながらしも明かし顔なる
と聞えて、この童の「いみじうさいなみつる」と言ふがをかしうて、端に、
  「霜の上に朝日さすめり今ははやうちとけにたる気色見せなむ
いみじうわび侍るなり」とあり。「けさしたり顔におぼしたりつるも、いとねたし。この童殺してばやとまでなむ、
  朝日影さして消ゆべき霜なれどうちとけがたき空の気色ぞ
とあれば、「殺させ給ふべかなるこそ」とて、
  君は来ずたまたま見ゆる童をばいけとも今は言はじと思ふか
と聞えさせたれば、笑はせ給ひて、
  「ことわりや今は殺さじこの童しのびのつまの言ふことにより
手枕の袖は、忘れ給ひにけるなめりかし」とあれば、
  人知れず心にかけてしのぶるを忘るとや思ふ手枕の袖
と聞えたれば、
  もの言はでやみなましかばかけてだに思ひ出でましや手枕の袖




 かくて、二三日、音もせさせ給はず。頼もしげにのたまはせしことも、いかになりぬるにかと思ひつづくるに、いも寝られず。目もさまして寝たるに、夜やうやう更けぬらむかしと思ふに、門をうちたたく。あなおぼえなと思へど、問はすれば、宮の御文なりけり。思ひかけぬほどなるを、心やゆきてとあはれにおぼえて、妻戸おしあけて見れば、
  見るや君さ夜うち更けて山の端にくまなくすめる秋の夜の月
うちながめられて、つねよりもあはれにおぼゆ。門も開けねば、御使ひ待ち遠にや思ふらむとて、御返し、
  更けぬらむと思ふものから寝られねどなかなかなれば月はしも見ず
とあるを、おし違へたる心地して、なほ口惜しくはあらずかし、いかで近くて、かかるはかなしごとも言はせて聞かむ、とおぼし立つ。

 二日ばかりありて、女車のさまにて、やをらおはしましぬ。昼などはまだ御覧ぜねば、恥かしけれど、さまあしう恥ぢ隠るべきにもあらず、また、のたまふさまにもあらば、恥ぢきこえさせてやはあらむずる、とてゐざり出でぬ。日ごろのおぼつかなさなど語らはせ給ひて、しばしうち臥させ給ひて、「この聞えさせしさまに、はやおぼし立て。かかる歩きのつねにうひうひしうおぼゆるに、さりとて参らぬはおぼつかなければ、はかなき世の中に苦し」とのたまはすれば、「ともかくものたまはせむままにと思ひたまふるに、『見ても嘆く』と言ふころにこそ思ひたまへわづらひぬれ」と聞ゆれば、「よし、見給へ。『塩焼き衣』にてぞあらむ」とのたまはせて、出でさせ給ひぬ。
 前近き透垣のもとに、をかしげなる檀の紅葉の、すこしもみぢたるを折らせ給ひて、高欄におしかからせ給ひて、
  ことの葉ふかくなりにけるかな
とのたまはすれば、
  白露のはかなくおくと見しほどに
と聞えさするさま、なさけなからずをかしとおぼす。宮の御さま、いとめでたし。御直衣に、えならぬ御衣出だし桂にし給へる、あらまほしう見ゆ。目さへあだあだしきにやとまでおぼゆ。
 又の日、「きのふの御気色のあさましうおぼいたりしこそ、心憂きもののあはれなりしか」とのたまはせたれば、
  「葛城の神もさこそは思ふらめ久米路にわたすはしたなきまで
わりなくこそ思ひたまうらるれ」と聞えたれば、たちかへり、
  行ひのしるしもあらば葛城のはしたなしとてさてややみなむ
など言ひて、ありしよりは時々おはしましなどすれば、こよなくつれづれも慰む心地す。

 かくてあるほどに、またよからぬ人々文おこせ、又みづからもたちさまよふにつけても、よしなきことの出で来るに、参りやしなましと思へど、なほつつましうて、すがすがしうも思ひたたず。
 霜いと白き、つとめて、
  わが上は千鳥もつげじ大鳥の羽にも霜はさやはおきける
と聞えさせたれば、
  月も見で寝にきと言ひし人の上におきしもせじを大鳥のごと
とのたまはせて、やがて暮れにおはしましたり。
 「このころの山の紅葉は、いかにをかしからむ。いざたまへ、見む」とのたまへば、「いとよく侍るなり」と聞えて、その日になりて、「今日は物忌み」と聞えてとどまりたれば、「あな口惜し。これ過ぐしてはかならず」とあるに、その夜の時雨、つねよりも木々の木の葉残りありげもなく聞ゆるに、目をさまして、「風の前なる」などひとりごちて、みな散りぬらむかし、きのふ見でと口惜しう思ひ明かして、つとめて宮より、
  「神無月世にふりにたる時雨とや今日のながめはわかずふるらむ
さては口惜しくこそ」とのたまはせたり。
  時雨かもなにに濡れたる袂ぞと定めかねてぞわれもながむる
とて、「まことや、
  もみぢ葉は夜半の時雨にあらじかしきのふ山べを見たらましかば」
とあるを、御覧じて、
  そよやそよなどて山べを見ざりけむけさは悔ゆれどなにのかひなし
とて、端に、
  あらじとは思ふものからもみぢ葉の散りや残れるいざ行きて見む
とのたまはせたれば、
  「うつろはぬ常磐の山も紅葉せばいざかし行きて問ふ問ふも見む
不覚なることにぞ侍らむかし」
 ひと日、おはしましたりしに、「さはることありて聞えさせぬぞ」と申ししをおぼし出でて、
  高瀬舟はやこぎ出でよさはることさしかへりにし蘆間分けたり
と聞えたるを、「おぼし忘れたるにや、
  山べにも車に乗りて行くべきに高瀬の舟はいかがよすべき」
とあれば、
  もみぢ葉の見に来るまでも散らざらば高瀬の舟のなにかこがれむ
とて。




 その日も暮れぬれば、おはしまして、こなたのふたがれば、しのびてゐておはします。
 このころは、四十五日の忌み違へせさせ給ふとて、御いとこの三位の家におはします。例ならぬ所にさへあれば、「見苦し」と聞ゆれど、しひてゐておはしまして、御車ながら人も見ぬ車宿りに引き立てて、入らせ給ひぬれば、おそろしく思ふ。人靜まりてぞおはしまして、御車にたてまつりて、よろづのことをのたまはせ契る。心えぬ宿直のをのこどもぞめぐり歩く。例の右近の尉、この童とぞ近くさぶらふ。あはれにもののおぼさるるままに、おろかに過ぎにし方さへくやしうおぼさるるも、あながちなり。
 明けぬれば、やがてゐておはしまして、人の起きぬさきにと、いそぎ帰らせ給ひて、つとめて、
  寝ぬる夜の寝覚めの夢にならひてぞふしみの里をけさは起きける
御返し、
  その夜よりわが身の上は知られねばすずろにあらぬ旅寝をぞする
と聞ゆ。
 かばかり、ねんごろにかたじけなき御心ざしを見ず知らず、心こはきさまにもてなすべき、ことごとはさしもあらず、など思へば、参りなむ、と思ひ立つ。まめやかなることども言ふ人々もあれど、耳にも立たず。心憂き身なれば、宿世にまかせてあらむと思ふにも、この宮仕へ本意にもあらず、巌の中こそ住ままほしけれ、また憂きこともあらば、いかがせむ、いと心ならぬさまにこそ思ひ言はめ、なほかくてやすぎなまし、近くて親はらからの御ありさまも見きこえ、また昔のやうにも見ゆる人の上をも見さだめむ、と思ひ立ちにたれば、あいなし、参らむほどまでだに、便なきこといかで聞しめされじ、近くては、さりとも御覧じてむ、と思ひて、すきごとせし人々の文をも、「なし」など言はせてさらに返りごともせず。

 宮より、御文あり。見れば、「さりともと頼みけるが、をこなる」など、多くのことどものたまはせで、「いさ知らず」とばかりあるに、胸うちつぶれて、あさましうおぼゆ。めづらかなる空言どもいと多く出で来れど、さはれ、なからむことはいかがせむとおぼえてすぐしつるを、これはまめやかにのたまはせたれば、思ひ立つことさへほの聞きつる人もあべかめりつるを、をこなる目をも見るべかめるかなと思ふに悲しく、御返りきこえむものともおぼえず。また、いかなること聞しめしたるにかと思ふに、恥かしうて、御返りもきこえさせねば、ありつることを恥かしと思ひつるなめりとおぼして、「などか御返りも侍らぬ。さればよとこそおぼゆれ。いととくも変る御心かな。人の言ふことありしを、よもとは思ひながら、『思はましかば』とばかり聞えしぞ」とあるに、胸すこしあきて、御気色もゆかしく、聞かまほしくて、「まことに、かくもおぼされば、
  今の間に君来まさなむ恋しとて名もあるものをわれ行かむやは」
と聞えたれば、
  「君はさは名の立つことを思ひけり人からかかる心とぞ見る
これにぞ、腹さへ立ちぬる」とぞある。
 かくわぶる気色を御覧じて、たはぶれをせさせ給ふなめりとは見れど、なほ苦しうて、「なほいと苦しうこそ。いかにもありて御覧ぜさせまほしうこそ」と聞えさせたれば、
  うたがはじなほ恨みじと思ふとも心に心かなはざりけり
御返り、
  恨むらむ心は絶ゆな限りなく頼む君をぞわれもうたがふ
と聞えてあるほどに、暮れぬれば、おはしましたり。「なほ人の言ふことのあれば、よもとは思ひながら聞えしに、かかること言はれじとおぼさば、いざたまへかし」などのたまはせて、明けぬれば出でさせ給ひぬ。
 かくのみ絶えずのたまはすれど、おはしますことはかたし。雨風などいたう降り吹く日しも、おとづれ給はねば、人少ななる所の風の音を、おぼしやらぬなめりかしと思ひて、暮れつ方、聞ゆ。
  霜がれはわびしかりけり秋風の吹くには荻のおとづれもしき
と聞えたれば、かれよりのたまはせける、御文を見れば、「いとおそろしげなる風の音いかがとあはれになむ、
  かれはててわれよりほかに問ふ人もあらしの風をいかが聞くらむ
思ひやりきこゆるこそいみじけれ」とぞある。のたまはせけると見るもをかしくて。

 所かへたる御物忌みにて、しのびたる所におはしますとて、例の御車あれば、今はただのたまはせむにしたがひてと思へば、参りぬ。
 心のどかに御物語り起きふし聞えて、つれづれもまぎるれば、参りなまほしきに、御物忌み過ぎぬれば、例の所に帰りて、今日はつねよりも名残り恋しう思ひ出でられて、わりなくおぼゆれば、聞ゆ。
  つれづれと今日数ふれば年月のきのふぞものは思はざりける
御覧じて、あはれとおぼしめして、「ここにも」とて、
  「思ふことなくて過ぎにしをととひときのふと今日になるよしもがな
と思へどかひなくなむ。なほおぼしめし立て」とあれど、いとつつましうて、すがすがしうも思ひ立たぬほどは、ただうちながめてのみ明かし暮らす。
 色々に見えし木の葉も残りなく、空も明かう晴れたるに、やうやう入りはつる日影の、心細く見ゆれば、例の、聞ゆ。
  なぐさむる君もありとは思へどもなほ夕暮れはものぞ悲しき
とあれば、
  「夕暮れは誰もさのみぞ思ほゆるまづ言ふ君ぞ人にまされる
と思ふこそあはれなれ。ただ今、参り来ばや」とあり。

 またの日の、まだつとめて、霜のいと白きに、「ただ今のほどはいかが」とあれば、
  起きながら明かせる霜のあしたこそまされるものは世になかりけれ
など聞えかはす。例のあはれなることども書かせ給ひて、
  われひとり思ふ思ひはかひもなしおなし心に君もあらなむ
御返り、
  君は君われはわれともへだてねば心々にあらむものかは

 かくて、女、かぜにや、おどろおどろしうはあらねどなやめば、時々問はせ給ふ。よろしくなりてあるほどに、「いかがある」と問はせ給へれば、「すこしよろしうなりにて侍り。しばし生きて侍らばやと思ひ給ふるこそ、罪深く、さるは、
  絶えしころ絶えねと思ひし玉の緒の君によりまた惜しまるるかな」
とあれば、「いみじきことかな、かへすがへすも」とて、
  玉の緒の絶えむものかは契りおきしなかに心は結びこめてき
かく言ふほどに、年も残りなければ、春つ方、と思ふ。




 十一月ついたちごろ、雪のいたく降る日、
  神代よりふりはてにける雪なれど今日はことにもめづらしきかな
御返し、
  初雪といづれの冬も見るままにめづらしげなき身のみふりつつ
など、よしなしごとに明かし暮らす。
 御文あり。「おぼつかなくなりにければ、参り来てと思ひつるを、人々文つくるめれば」とのたまはせたれば、
  いとまなみ君来まさずはわれ行かむふみつくるらむ道を知らばや
をかし、とおぼして、
  わが宿にたづねて来ませふみつくる道も数へむあひも見るべく

 つねよりも霜のいと白きに、「いかが見る」とのたまはせたれば、
  さゆる夜の数かく鴫はわれなれやいく朝霜をおきて見つらむ
そのころ、雨はげしければ、
  雨も降り雪も降るめるこのころを朝霜とのみおき居ては見る
その夜、おはしまして、例のものはかなき御物語りせさせ給ひても、「かしこにゐてたてまつりてのち、まろがほかにも行き、法師にもなりなどして、見えたてまつらずは、本意なくやおぼされむ」と、心細くのたまふに、いかにおぼしなりぬるにかあらむ、またさやうのことも出で来ぬべきにや、と思ふに、いとものあはれにて、うち泣かれぬ。
 みぞれだちたる雨の、のどやかに降るほどなり。
 いささかまどろまで、この世ならずあはれなることを、のたまはせ契る。あはれに、なにごとも聞しめしうとまぬ御有様なれば、心のほども御覧ぜられむとてこそ思ひも立て、かくては本意のままにもなりぬばかりぞかし、と思ふに、悲しくて、ものも聞えで、つくづくと泣く気色を御覧じて、
  なほざりのあらましごとに夜もすがら
とのたまはすれば、
  落つる涙は雨とこそ降れ
 御気色の例よりもうかびたることどもをのたまはせて、明けぬれば、おはしましぬ。

 なにの頼もしきことならねど、つれづれのなぐさめに思ひ立ちつるを、さらに、いかにせまし、など思ひ乱れて、聞ゆ。
  「うつつにて思へば言はむ方もなしこよひのことを夢になさばや
と思ひ給ふれど、いかがは」とて、端に、
  「しかばかり契りしものをさだめなきさは世のつねに思ひなせとや
口惜しうも」とあれば、御覧じて、「まづこれよりとこそ思ひつれ、
  うつつとも思はざらなむ寝ぬる夜の夢に見えつる憂きことぞそは
思ひなさむとこころみしかや。
  ほど知らぬ命ばかりぞさだめなき契りてかはす住吉の松
あが君や、あらましごとさらにさらに聞えじ。人やりならぬ、ものわびし」とぞある。
 女は、そののち、もののみあはれにおぼえ、嘆きのみせらる。とくいそぎ立ちたらましかばと思ふ。昼つ方、御文あり。見れば、
  あな恋し今も見てしが山がつの垣ほに咲ける大和撫子
「あなもの狂ほし」と言はれて、
  恋しくは来ても見よかしちはやぶる神のいさむる道ならなくに
と聞えたれば、うち笑ませ給ひて、御覧ず。
 このころは、御経ならはせ給ひければ、
  あふみちは神のいさめにさはらねどのりのむしろにをればたたぬぞ
御返し、
  われさらば進みて行かむ君はただ法のむしろにひろむばかりぞ
など聞えさせすぐすに、雪いみじく降りて、ものの枝に降りかかりたるにつけて、
  雪降れば木々の木の葉も春ならでおしなべ梅の花ぞ咲きける
とのたまはせたるに、
  梅ははや咲きにけりとて折れば散る花とぞ雪の降れば見えける




 またの日、つとめて、
  冬の夜の恋しきことにめもあはで衣かた敷き明けぞしにける
御返し、「いでや、
  冬の夜の目さへ氷にとぢられてあかしがたきを明かしつるかな」
など言ふほどに、例のつれづれなぐさめてすぐすぞ、いとはかなきや。

 いかにおぼさるるにかあらむ、心細きことをのたまはせて、「なほ世の中にありはつまじきにや」とあれば、
  くれ竹の世々の古ごと思ほゆる昔語りはわれのみやせむ
と聞えたれば、
  呉竹の憂きふししげき世の中にあらじとぞ思ふしばしばかりも
などのたまはせて、人知れずすゑさせ給ふべき所など、おきてならはである所なれば、はしたなく思ふめり、ここにも聞きにくくぞ言はむ、ただわれ行きて、ゐて去なむ、とおぼして、十二月十八日、月いとよきほどなるに、おはしましたり。
 例の、「いざ、たまへ」とのたまはすれば、今宵ばかりにこそあれと思ひて、ひとり乗れば、「人ゐておはせ。さりぬべくは、心のどかに聞えむ」とのたまへば、例は、かくものたまはぬものを、もし、やがてとおぼすにや、と思ひて、人ひとりゐて行く。
 例の所にあらで、しのびて人などもゐよとせられたり。さればよと思ひて、なにかはわざとだちても参らまし、いつ参りしぞとなかなか人も思へかし、など思ひて、明けぬれば、櫛の箱など取りにやる。

 宮、入らせ給ふとて、しばしこなたの格子はあげず。おそろしとにはあらねど、むつかしければ、「今、かの北の方にわたしたてまつらむ。ここには近ければ、ゆかしげなし」とのたまはすれば、おろしこめてみそかに聞けば、昼は人々、院の殿上人など参りあつまりて、「いかにぞ、かくてはありぬべしや、近劣りいかにせむ、と思ふこそ苦しけれ」とのたまはすれば、「それをなむ思ひたまふる」と聞えさすれば、笑はせ給ひて、「まめやかには、夜などあなたにあらむ折は、用意し給へ。けしからぬものなどは、のぞきもぞする。今しばしあらば、かの宣旨のある方にもおはしておはせ。おぼろけにてあなたは人もより来ず、そこにも」などのたまはせて、二日ばかりありて、北の対にわたらせ給ふべければ、人々おどろきて、上に聞ゆれば、「かかることなくてだにあやしかりつるを、なにのかたき人にもあらず、かく」とのたまはせて、わざとおぼせばこそしのびてゐておはしたらめとおぼすに、心づきなくて、例よりもものむつかしげにおぼしておはすれば、いとほしくてしばしはうちに入らせ給はで、人の言ふことも聞きにくし、人の気色もいとほしうて、こなたにおはします。
 「しかじかのことあなるは、などかのたまはせぬ。制しきこゆべきにもあらず、いとかう、身の人気なく人笑はれに恥かしかるべきこと」と泣く泣く聞え給へば、「人使はむからに、御おぼえのなかるべきことかは。御気色あしきにしたがひて、中将などがにくげに思ひたるむつかしさに、頭などもけづらせむとて、よびたるなり。こなたなどにも召し使はせ給へかし」など聞え給へば、いと心づきなくおぼせど、ものものたまはず。
 かくて日ごろ経れば、さぶらひつきて、昼なども上にさぶらひて、御櫛なども参り、よろづにつかはせ給ふ。さらに御前も避けさせ給はず。上の御方にわたらせ給ふことも、たまさかになりもて行く、おぼし嘆くこと限りなし。

 年かへりて、正月一日、院の拝礼に、殿ばら数をつくして参り給へり。宮もおはしますを見まゐらすれば、いと若ううつくしげにて、多くの人にすぐれ給へり。これにつけてもわが身恥かしうおぼゆ。上の御方の女房、出で居て物見るに、まづそれをば見で「この人を見む」と穴を開けさわぐぞ、いとさまあしきや。
 暮れぬれば、こと果てて、宮入らせ給ひぬ。御送りに上達部数をつくして居給ひて、御遊びあり。いとをかしきにも、つれづれなりし古里まづ思ひ出でらる。
 かくてさぶらふほどに、下衆などのなかにも、むつかしきこと言ふをきこしめして、かく人のおぼしのたまふべきにもあらず、うたてもあるかな、と心づきなければ、うちにも入らせ給ふこといと間遠なり。かかるもいとかたはらいたくおぼゆれば、いかがはせむ、ただともかくもしなさせ給はむままにしたがひて、さぶらふ。
 北の方の御姉、春宮の女御にてさぶらひ給ふ。里にものし給ふほどにて、御文あり。「いかにも。このころ人の言ふことはまことか。われさへ人気なくなむおぼゆる。夜のまにもわたらせ給へかし」とあるを、かからぬことだに人は言ふとおぼすに、いと心憂くて御返り、「うけたまはりぬ。いつも思ふさまにもあらぬ世の中の、このころは見苦しきことさへ侍りてなむ。あからさまにも参りて、宮たちをも見たてまつり、心もなぐさめ侍らむと思ひたまふる。迎へにたまはせよ、これよりも、耳にも聞き入れ侍らじと思ひたまへて」など聞えさせ給ひて、さるべきものなどとりしたためさせ給ふ。むつかしき所などかきはらはせなどせさせ給ひて、「しばしかしこにあらむ。かくて居たればあぢきなく、こなたへもさし出で給はぬも苦しうおぼえ給ふらむ」とのたまふに、「いとぞあさましきや。世の中の人のあさみきこゆることよ」「参りけるにも、おはしまいてこそ迎へさせ給ひけれ、すべて目もあやにこそ」「かの御局に侍るぞかし。昼も三たび四たびおはしますなり」「いとよく、しばしこらしきこえさせ給へ、あまりもの聞えさせ給はねば」などにくみあへるに、御心いとつらうおぼえ給ふ。
 さもあらばあれ、近うだに見きこえじ、とて、「御迎へに」と聞えさせ給へれば、御兄の君達、「女御殿の御迎へに」と聞え給へば、さおぼしたり。御乳母の曹司なるむつかしきものどもはらはするを聞きて、宣旨「かうかうしてわたらせ給ふなり。春宮の聞しめさむことも侍り。おはしましてとどめきこえさせ給へ」と聞えさわぐを見るにも、いとほしう苦しけれど、とかく言ふべきならねば、ただ聞き居たり。聞きにくきころ、しばしまかり出でなばやと思へど、それもうたてあるべければ、ただにさぶらふも、なほもの思ひ絶ゆまじき身かな、と思ふ。
 宮、入らせ給へば、さりげなくておはす。「まことにや、女御殿へわたらせ給ふと聞くは。など車のことものたまはぬ」と聞え給へば、「なにか、あれよりとてありつれば」とて、ものものたまはず。
 宮の上御文書き、女御殿の御ことば、さしもあらじ、書きなしなめり、と本に。









和泉式部日記 (新字、歴史仮名遣いによる)

似ている記事
スポンサーさん