大和物語

大和物語

大和物語

大和物語

【出典作品】:大和物語
【さくひん】:やまとものがたり
【作者編者】:ー
【さくしゃ】:ー
【成立時代】:平安
【出典紹介】:平安中期の歌物語集で、「姥捨て」・「苔の衣」などさまざまな物語を集めている。物語がよく整理されており読みやすく、初級から中級ぐらいの古文学習に役に立つ。
【出題頻度】:B

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大和物語 苔の衣

大和物語 苔の衣

やまとものがたり こけのころも

帝が妹の弘徽殿の宮の部屋を訪れ、父嵯峨の院の意向の通りに、弘徽殿の宮を大将と結婚させようと考えている場面から始まる。

大将は、亡き右大臣の娘(本文では「女君」 あるいは「上」)を妻として幸せな結婚生活をしているが、かって右大臣は、娘に対する帝の求婚を断って、娘を 大将と結婚させたという経緯があった。

弘徽殿に帝渡らせ給へば、御箏の琴弾きすさみ給ひて、桜に紅梅の細長など、なよらかに着なし給へる御様の らうたげにこめかしうて、御髪もすこし色にて少なやかにものし給へど、かかりなどいとあてやかに見え給へば、いまだ衰へ給はぬほどに同じうはこの大将の事とくあらまほしく思し召すに、「いと受けずげなること」とは御覧ずれど、「さのみ言ひてはいかがあるべき。またこの有様とても、見初めきこえて、さしもかひなくなどはよに思ひきこえじ。さもあらば冬ごろただ押して譲りてん。嵯峨の院なども返す返すのたまひしことなり」と思しなりぬ。

かつは、右の大臣などのいと便なきさまに受け引き奉らで、左右無く思ひ譲りたるもめざましう思し召して置きたる末なるべし、殿の参り給へるにも「かくなん思ふ」と仰せらるれば、返す返すかしこまる由を申し給ふ。大将殿はこのことを聞き給ふに、いとあぢきなく心憂く思されて、「数ならぬ身一つをだにも我が心に任せぬよ」と、世もすさましうむつかしう思されける。

何事も聞こえ合はせつつ過ぐし給へば、ましてこのことは隔てあるべきならねば、「かかることなん」と女君にほのめかし給ふに、あるまじきこととは思さねど、「さばかり大臣の後ろめたげに言ひ置き給ひしはことわりなりけり。いつしかかくて人笑はれになりぬべき身にこそ。かやうのこ とを聞き給はましかば、いかに本意なく思さまし。もの思ふまじくてや先立ち給ひけん」など、方々いとあはれに思して涙ぐまれぬるを、このことをあさましう思ふとや思さんと、苦しくて紛らはし給ふ。この御気色を見給ふに、いみじからんかぐや姫なりとも何かはせんとぞ思さるる。

弘徽殿の宮の御事やうやう世の中に漏りきこえて、「さばかりいみじきものにし給ふ上も、帝の御娘には並びえきこえ給はじ」、「内裏の御気色のさばかりめでたかりしを否び奉り給ひて、この大将に譲り給ひし心地、大臣の隠れ給ふままにいつしかかくなり行くべきや」、かつは「その便なきを帝の君も思し詰めたりけるにや」、「大将殿の御有様、げに当帝の御婚にてもあへぬべき」など、世人やすからず言ひ悩むぞ聞きにくき。


(注)

いまだ衰へ給はぬほどに弘徽殿の宮の容姿がまだ衰えなさらないうちに。

この大将の事 この大将との結婚話。

いと受けずげなること......大将は弘徽殿の宮との結婚を承諾しそうにないことだ。

譲りてん 弘徽殿の宮を大将に嫁がせてしまおう。

受け引きやらで左右無く思ひ譲りたる 右大臣が帝の求婚を承諾し申し上げないで簡単に娘を大将に嫁がせたこと。

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