【1957年 スプートニクショック】
1957年、旧ソ連(現在のロシア)は、人類初の人工衛星スプートニクを発射し、西側諸国へ衝撃を与えました。旧ソ連の宇宙開発は、高度な科学技術に基づいており、それは旧ソ連の良質な数学教育が背景にあると、西側の政治家たちは考えました。
その結果、西側諸国は、数学カリキュラムを改定し、中等教育(日本の中学高校に相当)カリキュラムへ、ベクトルや行列演算を、導入しました。
この変化は、「数学教育の現代化」と呼ばれています。
数学は難化し、合わせて、理系科目も難化しました。
【日本の場合】
日本は、1951(昭和26)年に、サンフランシスコ平和条約に調印し、同時に、日米安全保障条約の締結により、西側諸国として、国際社会へと歩き出していました。
欧米諸国の「数学教育の現代化」の影響により、日本も、数学カリキュラムの難易度を上げています。
【批判の展開】
日本国内からはいくつかの視点から、批判が展開されました。
1つ目の視点は、「詰込教育(つめこみきょういく)」という標語に代表されます。児童生徒がカリキュラムを消化できず、多くの「落ちこぼれ」を、制度的に発生させているという批判です。
2つ目の視点は、「全人教育(ぜんじんきょういく)」という標語に代表されます。理数教育の重点化により、「人徳・知性・身体・感性のバランスが崩れるのではないか」という批判です。
これらの批判は、実証が難しいです。特に「人徳」や「感性」という概念は、科学的というよりは政治的であり、教育現場の局所的な問題というよりは、社会全体の価値観の問題だからです。
【ゆとりカリキュラムの登場】
日本では、1980(昭和55)年から2002(平成14)年にかけて、学習指導要領は3度改定され、実施されました。最後の3回目の改定は、授業時間の大幅な削減を含み、いわゆる「ゆとり教育」と通称されています。
2002年度から実施された学習指導要領の改定には、例えば、以下の内容が含まれていました。
A:学習指導内容と授業時間の3割削減
B:学校5日制の完全実施
C:絶対評価制度の導入
D:「総合的な学習の時間」という科目の登場
1987(昭和62)年4月2日以降に生まれ、2002年以降に中学校入学した世代は、「ゆとり世代」と呼ばれています。
【PISAショック ゆとりカリキュラムの終了】
ゆとり教育へは、「基礎学力が弱体化する」という批判がありました。その批判を、実証したのが
PISAです。
PISA2003年は、ゆとり教育で育成された15歳の日本人を、測定対象としていました。
PISA2003年の結果は、それ以前と比較して、科学的リテラシーは不動でしたが、言語リテラシーと数学リテラシーは、順位を下げていました。
PISA2006年の結果は、さらに悪化しました。科学的リテラシ―は第2位から第6位へ、数学的リテラシ―は第6位から第10位に、読解力は第14位から第15位に、下落しました。
制度変更は、長期的に人間能力へ影響を与えることが、実証されました。
PISAのディレクター(予算と権力を管理する地位のこと)であるアンデレアス・シュライヒャーさんは、ドイツ系で、シュタイナー教育(ウォルドルフ学校)の出身者です。
日本世論は「ゆとり教育は失敗」という声で占められ、日本の公教育政策は、転換を余儀なくされました。
この一連の出来事(ゆとりカリキュラムを廃止へと導いた国際調査)は、「PISAショック」と呼ばれています。
学習指導要領は改定され、公立高校では2013年から実施されました。2016年以降に高校を卒業した日本人は、ゆとり教育とは無関係となりました。
【中国上海の登場】
今後の日本の教育政策の動向では、「日本と西欧」という視点に加えて、「日中韓」という視点も、重みを増していくと、予想されます。
日中韓の3国には、以下の共通があります。
A:東洋文化として、儒教の影響
B:非西洋圏として、自国語+英語カリキュラム
C:古代中国の科挙を象徴として、教育への国家介入
特に、中国上海は、PISA2009年に初参加し、科学的リテラシー・言語リテラシー・数学リテラシーのいずれでも、参加国地域のうちで、1位でした。
なお中国大陸は、省や特別市によって、教育制度に違いがあります。全国データではなく、あくまで行政区として「上海市」での参加となりますが、中国の経済成長と合わせて、注目を集めています。
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