【前書】
次の文章は、「
栄花物語」の一節である。
藤原長家(本文では「中納言殿」)の妻が亡くなった。親族らは、
亡骸をゆかりの寺外、
法住寺に移す場面から始まる。
これを読み、以下の設問1から設問5に、答えよ。
【本文】
大北の方(藤原長家の義母)も、この殿ばら(藤原長家の知合たちのこと)も、また押しかへし、
臥しまろばせ給ふ。
これをだに、悲しく由由しきことに言はでは、また何ごとをかはと、見えたり。
さて、御車(亡骸を運ぶ車のこと)の
後に、大納言殿(藤原斉信のことで、藤原長家の義父)、中納言殿(藤原長家の役職のこと)、さるべき人人は、歩ませ給ふ。
言へば愚かにて、
( ア )えまねびやらず。
北の方(大北の方と同一人物)の御車や、女房たちの車など、ひき続けたり。
御供の人人など、数知らず多かり。
法住寺には、常の御渡りにも似ぬ御車などのさまに、
僧都の君(藤原斉信の弟のことで、法住寺の僧)、御目もくれて、え見たてまつりたまはず。
さて、御車かきおろして、つぎて人人おりぬ。
さて、この
御忌のほどは、
誰もそこにおはしますべきなりけり。
山の方を、眺めやらせ給ふにつけても、わざとならず、色色にすこし移ろひたり。
鹿の鳴く
音に、御目も覚めて、今すこし心細さ、勝り給ふ。
宮宮(藤原長家の姉たちで、藤原彰子や藤原妍子のこと)よりも、思し慰むべき御
消息、たびたびあれど、ただ今は、ただ夢を見たらんやうにのみ、思されて過ぐし給ふ。
月のいみじう明きにも、思し残させ給ふことなし。
内裏わたりの女房も、さまざま御消息、聞こゆれども、良ろしきほどは、
( A )「今みづから」とばかり、書かせ給ふ。
進内侍と聞こゆる人、聞こえたり。
---契りけん 千代は涙の 水底に 枕ばかりや 浮きて見ゆらん---
中納言殿の御返し
---起き臥しの 契りはたえて 尽きせねば 枕を浮くる 涙なりけり---
また、東宮の若宮の御
乳母の
小弁
X ---悲しさを かつは思ひも 慰めよ 誰もつひには とまるべき世か---
御返し
Y ---慰むる 方しなければ 世の中の 常なきことも 知られざりけり---
かやうに思しのたまはせても、いでや、もののおぼゆるにこそあめれ、
まして月ごろ、年ごろにもならば、思ひ忘るるやうもやあらんと、われながら心憂く思さる。
何ごとにもいかでかくと
( イ )めやすくおはせしものを、
顔かたちよりはじめ、心ざま、手うち書き、絵などの心に入り、さいつころまで御心に入りて、
うつ伏しうつ伏して描きたまひしものを、
この夏の絵を、
枇杷殿(藤原妍子のこと)に持て参りたりしかば、
いみじう興じ愛でさせ給ひて、納め給ひし、
( B )よくぞ持て参りにけるなど、思し残すことなきままに、
よろづにつけて、恋しくのみ思ひ出で聞こえさせ給ふ。
年ごろ書き
集めさせ給ひける絵物語など、
みな焼けにし後(貴族の邸宅の火事で燃えてしまった後)、
去年、今年のほどにし、集めさせたまへるもいみじう多かりし、
( ウ )里に出でなば、とり出でつつ、見て慰めむと思されけり。
---
栄花物語 二十七段 衣の珠 全訳品詞分解---
【大問1 設問1】
傍線部( ア )~( ウ )の解釈として、最も適当なものを、次の各群の1~5のうちから、それぞれ一つずつ選べ。
( ア )
えまねびやらず
1 信じてあげることができない
2 かつて経験したことがない
3 とても真似のしようがない
4 表現しつくすことはできない
5 決して忘れることはできない
( イ )
めやすくおはせしものを
1 すばらしい人柄だったのになあ
2 すこやかに過ごしていらしたのになあ
3 感じのよい人でいらっしゃったのになあ
4 見た目のすぐれた人であったのになあ
5 上手におできになったのになあ
( ウ )
里に出でなば
1 自邸に戻ったときには
2 旧都に引っ越した日には
3 山里に隠棲するつもりなので
4 妻の実家から立ち去るので
5 故郷に帰るとすぐに
【大問1 設問2】
傍線部( A )
「今みづから」とばかり書かせ給ふ、とあるが、長家がそのような対応をしたのはなぜか。その理由の説明として最も適当なものを、次の1~5のうちから、一つ選べ。
1 並一通りの関わりしかない人からのおくやみの手紙に対してまで、丁寧な返事をする心の余裕がなかったから。
2 妻と仲のよかった女房たちには、この悲しみが自然と薄れるまでは返事を待ってほしいと伝えたかったから。
3 心のこもったおくやみの手紙に対しては、表現を十分練って返事をする必要があり、少し待ってほしかったから。
4 見舞客の対応で忙しかったが、いくらか時間ができた時には、ほんの一言ならば返事を書くことができたから。
5 大切な相手からのおくやみの手紙に対しては、すぐに自らお礼の挨拶にうかがわなければならないと考えたから。
【大問1 設問3】
傍線部( B )
「よくぞ持て参りにけるなど、思し残すことなきままに、よろづにつけて、恋しくのみ思ひ出で聞こえさせ給ふ」の語句や表現に関する説明として最も適当なものを、次の1~5のうちから、一つ選べ。
1 「よくぞ・・・・・・ける」は、妻の描いた絵を枇杷殿へ献上していたことを振り返って、そうしておいてよかったと、長家がしみじみと感じていることを表している。
2 「思し残すことなき」は、妻とともに過ごした日々に後悔はない、という長家の気持ちを表している。
3 「ままに」は「それでもやはり」という意味で、長家が妻の死を受け入れたつもりでも、なお悲しみを払拭することができずに、苦悩していることを表している。
4 「よろづにつけて」は、妻の描いた絵物語のすべてが焼失してしまったことに対する、長家の悲しみを強調している。
5 「思ひ出できこえさせ給ふ」の「させ」は使役の意味で、ともに亡き妻のことを懐かしんでほしいと、長家が枇杷殿に強く訴えていることを表している。
【大問1 設問4】
この文章の登場人物についての説明として最も適当なものを、次の1~5のうちから、一つ選べ。
1 親族たちが、悲しみのあまりに取り乱している中で、「大北の方」だけは、冷静さを保って人人に指示を与えていた。
2 「僧都の君」は、涙があふれて長家の妻の亡骸を直視できないほどであったが、気丈に振る舞い亡骸を車から降ろした。
3 長家は、秋の終わりの寂しい風景を目にするたびに、妻を亡くしたことが夢であってくれればよいと思っていた。
4 「進内侍」は、長家の妻が亡くなったことを深く悲しみ、自分も枕が浮くほど、涙を流していると嘆く歌を贈った。
5 長家の亡き妻は、容貌もすばらしく、字が上手なことに加え、絵にもたいそう関心が深く、生前は熱心に描いていた。
【大問1 設問5】
以下の文章を読み、その内容を踏まえて、
X・Y・Zの三首の和歌についての説明として適当なものを、後の1~6のうちから、二つ選べ。ただし、解答の順序は問わない。
「栄花物語」の和歌
Xと同じ歌は、「千載和歌集」にも記されている。妻を失って悲しむ長家のもとへ届けられたという状況も同一である。
しかし、「千載和歌集」では、それに対する長家の返歌は、
Z 誰もみな とまるべきには あらねども
後るるほどは なほぞ悲しき
となっており、同じ和歌
Xに対する返歌の表現や内容が、「千載和歌集」の和歌
Zと「栄花物語」の和歌
Yとでは異なる。
「栄花物語」では、和歌
X・Yのやりとりを経て、長家が内省を深めてゆく様子が描かれている。
1 和歌
Xは、妻を失った長家の悲しみを深くは理解していない、ありきたりなおくやみの歌であり、「悲しみをきっぱり忘れなさい」と安易に言ってしまっている部分に、その誠意のなさが露呈してしまっている。
2 和歌
Xが、世の中は無常で誰しも永遠に生きることはできないということを詠んでいるのに対して、和歌
Zはその内容をあえて肯定することで、妻に先立たれてしまった悲しみをなんとか慰めようとしている。
3 和歌
Xが、誰でもいつかは必ず死ぬ身なのだからと言って長家を慰めようとしているのに対して、和歌
Zはひとまずそれに同意を示したうえで、それでも妻を亡くした今は悲しくてならないと訴えている。
4 和歌
Zが、「誰も」「とまるべき」「悲し」など和歌
Xと同じ言葉を用いることで、悲しみを癒やしてくれたことへの感謝を表現しているのに対して、和歌
Yはそれらを用いないことで、和歌
Xの励ましを拒む姿勢を表明している。
5 和歌
Yは、長家を励まそうとした和歌
Xに対して、私の心を癒やすことのできる人などいないと反発した歌であり、長家が他人の干渉をわずらわしく思い、亡き妻との思い出の世界に閉じこもってゆくという文脈につながっている。
6 和歌
Yは、世の無常のことなど今は考えられないと詠んだ歌だが、そう詠んだことでかえってこの世の無常を意識してしまった長家が、いつかは妻への思いも薄れてゆくのではないかと恐れ、妻を深く追慕してゆく契機となっている。
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