光明皇后(こうみょうこうごう) 正倉院の宝物
光明皇后(こうみょうこうごう) 正倉院の宝物
光明皇后(こうみょうこうごう)は、奈良時代の人物で、聖武天皇(しょうむてんのう)とともに、鎮護国家(ちんごこっか)の創設を目指し、中央に東大寺を、地方に国分寺(こくぶんじ)・国分尼寺(こくぶんにじ)を建立しました。
国分寺は、現在でも地名として継承されています。
国分尼寺の「尼」は、女性の僧侶のことです。「尼」の字は、音読みでは「に」になり、訓読みでは「あま」になります。
光明皇后と夫との遺品は、東大寺の正倉院(しょうそういん)に奉納されました。
光明皇后は、藤原不比等の娘であり、藤三娘(とうさんじょう)という書名を持っていました。
人物:光明皇后(こうみょうこうごう)
時代:奈良時代
生年:701(大宝1)~760(天平宝字4) 寂59才
職業:皇后
別名:藤三娘(とうさんじょう)・光明子(こうみょうし)・藤原太后(ふじわらたいごう)
家柄:藤原氏・藤原不比等の娘
用語:鎮護国家・正倉院・薬学・仏教・藤原氏
歌集:万葉集 四千二百四十首
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小テスト 奈良時代の人物 光明皇后
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