藤原俊成 藤原俊成 (ふじわらとしなり) は、藤原定家の父です。父の藤原俊成と、子の藤原定家で、鎌倉時代の和歌を洗練させました。平安時代に、権力の絶頂を極めた藤原氏は、鎌倉時代になると、芸術の名門として、繁栄しました。なお、藤原俊成 (ふじわらしゅんぜい) と読ませる場合もあります。
藤原定家 藤原定家 (ふじわらさだいえ) は、鎌倉時代の歌人で、新古今和歌集の編者です。和歌の名家に生まれ、幼少より才能を発揮し、晩年まで和歌の道を追究しました。 藤原定家の作風は、幽玄体、と呼ばれました。 周囲からは、美の鬼と、評されました。 また、和歌の優れた知識から、古代から鎌倉時代までの和歌を編集し、百人一首を編集しています。
紀貫之 紀貫之 (きのつらゆき) は平安時代の歌人で、古今和歌集を編集しました。古今和歌集の序文として、仮名序と真名序を執筆し、和歌がどのようなものかを解説しています。また、国司 (今の県知事) として、土佐 (高知県) に赴任した時には、土佐日記という日記文学も、執筆しています。漢字と仮名を用いた日本文学の誕生に、紀貫之は大きな影響を与えました。
光明皇后(こうみょうこうごう) 正倉院の宝物 光明皇后(こうみょうこうごう)は、奈良時代の人物で、聖武天皇(しょうむてんのう)とともに、鎮護国家(ちんごこっか)の創設を目指し、中央に東大寺を、地方に国分寺(こくぶんじ)・国分尼寺(こくぶんにじ)を建立しました。国分寺は、現在でも地名として継承されています。国分尼寺の「尼」は、女性の僧侶のことです。「尼」の字は、音読みでは「に」になり、訓読みでは「あま」になります。光明皇后と夫との遺品は、...
松尾芭蕉 松尾芭蕉 (まつおばしょう) は、江戸時代の俳人です。言葉遊びの俳諧を、芸術にまで高めて、俳聖と呼ばれます。芭蕉の俳句は、世界中の国の教科書に掲載され、世界で最も短い詩として紹介されています。
西行 【名前】:西行 【かな】:さいぎょう 【時代】:平安後期 【生年】:1118(元永1)~1190(建久1)寂73才 【同時代人】:平清盛・藤原俊成・藤原定家 【職業】:歌人・僧・北面の武士 【別名】:佐藤義清(さとうのりきよ)・大宝房・円位 【家柄】:武家富裕層・父は検非違使・母は監物源清経の娘 【経歴】: 北面の武士(鳥羽上皇) 出家・仏道修行 和歌修行・諸国遍歴(高...