源中納言具行も同じ頃東へ率て行く。数多の中に取り分きて重かるべく聞こゆるは、様異なる罪に当たるべきにやあらん。内に候ひし勾当の内侍は、経朝の三位の娘なりき。早うより、御門睦ましく思し召して、姫宮など賜うで奉りしを、その後、この中納言いまだ下臈なりし時より 1 許し賜はせて、この年来、二つなき者に思ひ交はして過ぐしつるに、かく様々に付けて浅ましき世を、並べてにやは。日に添へて歎き沈みながらも、同じ都に 2 ありと聞くほどは、吹き交ふ風の便りにも、さすが言問ふ慰めもありつるを、遂にさるべき事とは、人の上を見聞くに付けても、思ひ設けながら、なほ今はと 3 聞く心地、例へん方なし。この春、君の都別れ給ひしに、そこら尽きぬと思ひし涙も、げに残りありけりと、今一入身も流れ出でぬべく思ゆ。中納言は、「ものにもがなや」と悔しうはしたなき事のみぞ、底には、千々に砕くめれど、女々しう人に見えじと思ひ返しつつ、つれなく作りて、思ひ入りぬる様なり。去年の冬頃、数多聞こえしに、
4 ながらへて 身は徒らに 初霜の おくかた知らぬ 世にもふるかな
今ははや いかになりぬる 憂き身ぞと 同じ世にだに とふ人も無し
佐々木の佐渡の判官入道伴ひてぞ下りける。逢坂の関にて、
返るべき 時しなければ これやこの 行くを限りの 逢坂の関
柏原と言ふ所にしばし休らいて、預かりの入道、先づ東へ人を遣はしたる返り事待つなるべし。そのほど、物語など情け情けしううち言ひ交はして、「何事もしかるべき前の世の報ひに侍るべし。御身一つにしもあらぬ身なれば、まして甲斐なきわざにこそ。かく剛き家に生まれて、弓矢取るわざにかかづらひ侍るのみ、憂きものに侍りけれ」など、 5 まほならねどほのめかすに、心得果てられぬ。
隠岐の御送りをも仕りし者なれば、御道すがらの事など語り出でて、「忝ういみじうも侍りしかな。まして、朝夕近う仕り馴れ給ひけん御心ども、さながらなん推し量り聞こえさせ侍りし。何事も昔に及び、めでたうおはしましし御事にて、世下り時衰へぬる末には、 6 余りたる御有様にや、かくもおはしますらんとさへ、せめては思ひ給へ寄らるる」など、大方の世に付けても、げにと思ゆる節々加へて、のどやかに言ひをる気配、おのがほどには過ぎにたる、御酒など、所に付けてことそぎ粗々しけれど、さる方にしなして、良きほどにて、下しつる東よりの使ひ、帰り来たる気色、著るけれど、ことさらに言ひ出づる事もなし。いかならむと胸うちつぶれて思ゆるも、かつはいと心弱しかし。いづくの島守となれらん人もあぢきなく、誰も千年の松ならぬ世に、中々心尽くしこそ勝らめ。 7 つひに逃るまじき道は、とてもかくても同じ事、その際の心乱れなくだにあらば、すずしき方にも赴きなんと思ふ心は心として、都の方も恋しう哀れに、さすがなる事ぞ多かりける。
万につけて、事の気色を見るに、行く末遠くはある[ A ]めりと悟りぬ。預かりがほのめかししも、情けありて思ひ知らすれば、同じうはと思ひて、またの日「頭下ろさんとなん思ふ」と言へば、「いと哀れなる事にこそ。東の聞こえやいかがと思ひ給ふれど、なんでう事かは」とて、許しつ。かく言ふは、六月の十九日なり。かの事は今日なんめりと、気色見知りぬ。思ひ設けながらも、なほ例なかりける報ひのほど、いかが浅くは思えん。
消えかかる 露の命の 果ては見つ さても[ B ]の 末ぞゆかしき
X なほも、思ふ心のあるなんめりと、憎き口付きなりかし。その日の暮れつ方、遂にそこにて失はれにけり。今際の際も、さこそ心の内はありけめど、 8 いたく人わろうもなく、あるべき事とも思へる様になん見えける。内侍の待ち聞く心地、いかばかりかはありけん。やがて様変へて、近江の国高島と言ふわたりに、昔の所縁の人々尊く行ひて住む寺にぞ、立ち入りぬる。
問十四 傍線部1「ゆるし給はせ」 2「あり」 3「聞く」 の主語は何か、それぞれ最も適切なものを次の中から一つ選び、解答欄にマークせよ。
イ 源中納言具行
口 つねすけの三位
ハ 勾当の内待
ニ 姫宮
ホ 御門
問十五 傍線部4の和歌「ながらへて身はいたづらにはつ箱の置くかた知らぬ世にもあるかな」には掛詞が用いられている。掛詞の部分を抜き出し、平仮名で記述解答用紙の所定の欄に記入せよ(「ふる」は除く)。
問十六 傍線部5「まほならねど、ほのめかすに」について、何をほのめかしたのか。最も適切なものを次の中から一つ選び、解答欄にマークせよ。
イ 帝が隠岐に流罪にされたこと。
ロ 帝が近く死罪になるであろうこと。
ハ 佐々木が出家するつもりであること。
ニ 具行が近く流罪になるであろうこと。
ホ 具行が近く死罪になるであろうこと。
問十七 傍線部6「あまりたる御有様」とは何についてそう言っているのか。最も適切なものを次の中から一つ選び、解答欄にマークせよ。
イ 帝のすぐれた器量
ロ 具行の過酷な運命
ハ 具行の帝への深い愛
二 帝へのひどすぎる処罰
ホ 佐々木佐渡判官入道の奉公
問十八 傍線部7「つひに逃るまじき道は、とてもかくても同じ事」の解釈として最も適切なものを次の中から 一つ選び、解答欄にマークせよ。
イ 結局処刑されるのだから、何を訴えても意味もないことなので
ロ 結局ここから逃れる方法は一つだけで、あれこれ迷う必要はないので
ハ 結局人は死ななければならないという点では、どうであっても同じことで
二 結局命を奪うなどという非道は許されるはずもないから、何があっても同じことなので
ホ 結局この行きたくもない道を鎌倉まで行かざるをえないのだから、あれこれ考えても意味がないことなので
問十九 空欄[ A ]に入るように助動詞「まじ」を適切に活用させて、記述解答用紙の所定の欄に記入せよ。
問二十 空欄[ B ]に入る語として最も適切な語を、傍線部X「なほも思ふ心のあるなめり、とにくき口つきなりかし」を参考に、本文中から抜き出し、記述解答用紙の所定の欄に記入せよ。
問二一 傍線部8「いたく人わろうもなく」の解釈として最も適切なものを次の中から一つ選び、解答欄にマークせよ。
イ それほど恨みを抱くこともなく
ロ ひどく見苦しいということもなく
ハ 大変悪い性格というわけではなく
ニ まったく恥じるべきことではなく
ホ 決して人から非難されることもなく
問二十二 「増鏡」と同様、元弘の乱を描いた軍記物語として最も適切なものを次の中から一つ選び、解答欄にマークせよ。
イ 太閤記
口 将門記
ハ 太平記
二 平家物語
ホ 保元物語
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