東京都立高校学力検査2019 傾向対策解答解説

東京都立高校学力検査2019 傾向対策解答解説

東京都立高校学力検査2019 傾向対策解答解説

東京都立高校学力検査2019 傾向対策解答解説

東京都立高校(学力検査入学試験)国語過去問2019年の解答・解説・全訳です。東京都立高校の受験生の入試対策のためにプロ家庭教師が出題傾向を分析実況します。

【学校名称】:東京都立高校 学力検査(東京都教育委員会)
【試験日程】:02月21日
【試験配点】:100点/500点満点
【収容定員】:33000名
【志願者数】:45000+名
【検定料金】:2200円
【試験時間】:50分
【出題形式】:知識+説明文+物語文+古典
【解答形式】:記号選択+一問一答+作文(200文字)
【出題分野】:言葉の知識+国語+古文+詩歌(俳句・短歌)
【傾向分析】


【国語の試験構成 知識2本+長文3本+作文1本 バランス型】
東京都立高校の国語の試験構成は、知識問題2問(漢字読み+漢字書き)+長文3問(物語文+説明文+古典)+作文1問(200文字))で、伝統的に安定しています。知識・読解・記述と、日本語のほぼすべての技能が試験されるので、苦手分野をなくすように勉強していきましょう。

【国語の出典 物語文=異なる時空 説明文=現代日本】
東京都立高校の国語の出典は、物語文は、現在とは異なる時空が設定される物語が多いです。説明文は、現代日本の変化を説明した文章が多いです。東京都立高校の文章出典一覧もまとめてあります。

【国語の出典 古典+日本文化】
東京都立高校の国語では、日本文化と古典を結びつけた文章が出題されます。古典では、明治時代より前の古文(歴史的文章)が読めると、解答しやすくなります。

【作文 200文字 文章構成を練習しておく】
東京都立高校の国語では、200文字の作文が出されます。少なくとも180文字以上は書かなけれないけないので、文章構成を学んでおきましょう。

【プロ家庭教師 都立高校 国語対策講座】
東京都立高校への合格対策カリキュラムをプロ家庭教師に指導依頼できます。



【大問】:1
【形式】:一問一答
【表題】:ーーー
【作者】:ーーー
【対策】:知識問題。漢字の読みを、書きます。日頃から読みがわからない漢字に出会ったら、辞書を引く習慣を身につけておきましょう。
【用語】:漢字の読み
【目安時間】:2分/50分

【大問】:2
【形式】:一問一答
【表題】:ーーー
【作者】:ーーー
【対策】:知識問題。カタカナを、漢字に直します。高校受験の漢字力の目安は、漢字検定2級を目安に学習していきましょう。
【用語】:漢字の書き
【目安時間】:2分/50分

【大問】:3
【形式】:内容理解
【表題】燈火(ともしび)
【作者】:三浦哲郎(みうらてつろう)
【対策】:物語文。文章を読みながら内容理解を問います。文章の前後から、登場人物の心情・意図を読解しましょう。文章内容は、昭和時代から平成時代にかけて、1人の父親の、亡くなった田舎の母親への思いを描いています。
【用語】:郷里(きょうり) 親との別れ 白木蓮(しろもくれん)
【目安時間】:12分/50分

【大問】:4
【形式】:内容理解+作文
【表題】ヒトはなぜ絵を描くのか
【作者】:齋藤亜矢(さいとうあや)
【対策】:説明文。文章を読みながら、内容理解を問います。筆者の説明から、概念がどのようなものなのか読解しましょう。文章内容は、アートがどのようなものであり、人間の脳の仕組みとともに考察しています。説明文の内容を踏まえて、例年、200文字の作文が課されます。
【用語】:アート 脳科学 絵画
【目安時間】:22分/50分

【大問】:5
【形式】:内容理解
【表題】桜を歌う詩人たち.
【作者】:白洲正子(しらすまさこ) 大岡信(おおおかしん)
【対策】:古文。3つの文章から構成され、文章Aは古典を巡る対談、文章Bは古文、文章Cは古文の現代語訳です。古文読解ためには、基礎的な単語と文法の習得が求められます。例年、日本文化の重要語句が考察され、今年は「日本文化のなかの桜」が考察されています。
【用語】:古今和歌集 桜 梅
【目安時間】:12分/50分

東京都立高校 2019 大問1

【大問1 知識問題 漢字】

次の各文の   を付けた漢字の読みがなを書け

1 役者の真に迫った演技が喝采を浴びる。

2 教室かららかな笑い声が聞こえてくる。

3 新緑の渓谷を眺めながら川下りを楽しむ。

4 キンモクセイの香りがう公園を散策する。

5 著名な画家の生誕を記念する展覧会がされる。


東京都立高校 2019 大問1 解答

【大問1 知識問題 漢字 解答】

例年、漢字の読みが問われます。高校受験漢字は、漢字検定二級までを目安に学習しておきましょう。

1 役者の真に迫った演技がかっさいを浴びる。

2 教室からほがらかな笑い声が聞こえてくる。

3 新緑のけいこくを眺めながら川下りを楽しむ。

4 キンモクセイの香りがただよう公園を散策する。

5 著名な画家の生誕を記念する展覧会がもよおされる。

東京都立高校 2019 大問2

【大問2 知識問題 漢字】

次の各文の   を付けたカタカナの部分に当たる漢字を楷書で書け。

1 古都を巡る計画をメンミツに立てる。

2 道路をカクチョウして渋滞を解消する。

3 幼い子が公園のテツボウにぶら下がって遊ぶ。

4 吹奏楽部の定期演奏会が盛況のうちに幕をじる。

5 日ごとに秋が深まり、各地から紅葉の便りがトドく。

東京都立高校 2019 大問2 解答

【大問2 知識問題 漢字 解答】

例年、漢字の書きが問われます。高校受験漢字は、漢字検定二級までを目安に学習しておきましょう。


1 古都を巡る計画を綿密に立てる。

2 道路を拡張して渋滞を解消する。

3 幼い子が公園の鉄棒にぶら下がって遊ぶ。

4 吹奏楽部の定期演奏会が盛況のうちに幕をじる。

5 日ごとに秋が深まり、各地から紅葉の便りがく。

東京都立高校 2019 大問3

【大問3 物語文】

次の文章を読んで、あとの各問に答えよ。


東北出身の馬淵まぶちは、妻の菊枝きくえと社会人である長女の珠子たまこ、次女の志穂しほ、大学生である三女の七重ななえと東京で暮らしている。ある晩、馬淵は家族を集め、カセットテープにたまたま録音されていた、今はなくなっている馬淵の母と七重との会話について話している。七重は、祖母との会話は十年前の春のころのことではないかと言った


年老いた母が、時々はらはらするような一人旅をして馬淵のところへやってくるのは、たとえ何日かでも孫たちと一緒に暮らしたいからであった。姉〔注:東北で母と暮らす真淵の姉〕によると、母は何十日かにいちど理由もなく生気を失うことがある。母は心臓に持病があって町医者にかよっているが、どうやらその持病とは関係がないらしい。

母の様子がおかしくなると、姉が夜遅くなってから電話をよこす。

「また、はじまったようなの。そっちの都合がよかったら、呼んでくんせ」

こちらの都合が悪いということは、まずない。妻の菊枝がすぐ現金書留で旅費を送ってやる。( 1 )何日かすると、馬淵には馴染なじみの深い郷里の産物を土産に、母がいそいそとやってくる

けれども、母はせっかく長旅をしてきたのに、指折り数えるほどしか滞在できない。郷里に残してきた目の不自由な姉のことが案じられてならないのである。

「こっちは、なんも心配ながんすえ。もっとゆっくりしておでぁんせ」

姉はそういってくれるのだが、母はまたそわそわと旅支度に取り掛かり、別れを告げるのが辛いからといって孫たちの留守に家を脱け出して帰郷するのが常であった。

「おまえたちの記憶のなかで、春とお祖母ちゃんが強く結びついているのは」

と馬淵はいった。

「お祖母ちゃんが高齢になって、郷里で冬を越せなくなって、正月の末から三月までこの家で過ごすようになったからだよ。三月になっても、お祖母ちゃんは郷里へ帰る日を決めかねて、毎年みんなで気を揉んだものさ」

「じゃ、あんたのいう通り、十年前の三月中旬だったとして」と、次女の志穂が三女の七重にいった。

「あんたはお祖母ちゃんとなにを話してたの」 「花のことを話してたのよ。咲いてる花の数を数えてたの」と七重はいった。

中庭にあって三月半ばに咲く花といえば、白木蓮はくもくれんだということは家族の誰もが知っている。白木蓮は、葉が出るより先に花が咲く。花は大振りで、年寄りの目でも容易に数えられる。七重は濡れ縁ぬれえんに祖母と並んで、庭のなかから塀越しに脇の路地を覆うように枝をひろげている白木蓮のを見上げていたのだろう。その日はよく晴れていて、青空を背景に白い花が目にみるようではなかったろうか。

「そういえば、お祖母ちゃんは白木蓮の花が好きだったね。花では、この花が一番好きだっていってた」

長女がそういったが、馬淵は以前から、その母の言葉は怪しいものだと思っている。事実、母は白木蓮が好きだったらしいがそれが一番好きになったのはこの花が咲きはじめれば遠からず郷里へ帰れるという歓びよろこびが加味されてのことだったろう、というのが馬淵の推測である。

「でも、お祖母ちゃん、とうとう名前がおぼえられなかったね」と次女が笑っていった。

「白木蓮の?」

「そう」

( 2 )「......そうでした、お父さん?」と長女が首をかしげながら馬淵に訊いた

「多分志穂のいう通りだったろうな」と馬淵は答えた。

「お祖母ちゃんは、花が好きなくせに、花の名前を憶えるのが苦手だった。いくら教えても、すぐ忘れるんだ。それで、勝手に自分の好きな名前で呼んでた」

「白木蓮は?」

「田打ち桜」

田打ち桜のことは、妻も娘たちもあまり聞いたことがないらしかった。

「農家ではね、春になると、耕作しやすいように田を掘り返すんだ。それが田打ちで、その田打ちのころに咲く花が田打ち桜さ」

馬淵は講釈した。

「でも、地方によって田打ちの時季がちがうから、田打ち桜もまちまちなんだ。ある土地では、田打ち桜といえば糸桜だし、別の土地では山桜こぶしだったりする。僕の郷里の田打ち桜は、辛夷こぶしなんだ」

「白木蓮じゃないの?」と志穂が意外そうにいった。

「そうじゃないんだ。僕やお祖母ちゃんの田舎には、白木蓮という樹がないんだよ。その代わり、白木蓮によく似た辛夷がある。辛夷は山野に自生して、白木蓮の倍も高く成長するけど、花は白木蓮の半分くらいだ。でも、葉が出るより先に花が咲くところは白木蓮とおなじで、まだ冬枯れのままの林のなかに、辛夷だけが枝々の先に真っ白な花をひっそりと咲かせている眺めは、とてもいい」

「じゃ、お父さんも好きなのね、その辛夷の花を」と七重がいった。

「そりゃあ好きだ。お祖母ちゃんとおなじくらいにね。僕はこの家に住むことになったとき、庭にどうしても辛夷の樹が植えたくて、近くの植木市へ苗木を買いにいったんだよ」

馬淵はそういって、そのときのことを話して聞かせた。

植木市には、残念なことに辛夷の苗木はなかった。それでも諦め切れなくて、売りに出されている苗木を縫って市のなかを巡り歩いていると半纏はんてんを着て地下足袋を履いた初老の職人らしい男が、しゃがんで煙草たばこんでいたのをわざわざ立ってきて、お兄さん、なにを探しているんでと馬淵にいった。そこで、聞いていた娘たちは笑った。その職人らしい初老の男が、自分たちの父親のことをお兄さんと呼んだというのがおかしかったのだ。

「だって、お父さんはそのころまだ三十四、五だったのよ」と妻の菊枝がいった

「まあ、お父さんはとしより若く見える方だからね」と長女が分別顔でいった。

「それに、植木を買いにいったんだから、うんとラフな格好したんでしょう」

「作業用のジャンパーに古ズボンで、自転車に乗っていったな。帰りには辛夷の苗木を荷台にくくりつけてくるつもりだった」

( 3 )馬淵は、遠くなった記憶を引き寄せながらいった

なにを探しているのかと訊かれて辛夷の苗木が欲しいのだがと答えると、辛夷はないが、辛夷を台木にして白木蓮をぎ木したものならある、と職人風の男はいって、幹の細い、ひょろりとした若木を持ってきて見せてくれた。根の部分は、土をつけたまま荒縄で網の目に編んだもので丸く包み込んであった。

男の話によると、辛夷は大木になるから普通の家の庭木としては不適で、おなじモクレン科の白木蓮を接ぎ木したのが、この樹。これなら近所に迷惑を及ぼすほどの大木にはならないし、花は辛夷によく似ていて辛より大きく、豪華で、庭木として最適である。そういうことであった。

( 4 )この樹は、辛夷ではないが、人間なら血液にも等しい辛夷の樹液が流れている。馬淵はそう思ってこの樹を買い、自転車の荷台にくくりつけて帰った。それが、いまは幹が直径十センチほどにもなり、毎年三月になると、白い大振りな花をどっさり咲かせるようになっている。

母が初めてこの白木蓮の花を見たとき、不思議そうな顔でこうささやいたことを、馬淵は憶えている。

「東京にも、田打ち桜があるべおな」

馬淵には、母が辛夷と間違えていることがすぐわかった。

「これは白木蓮という樹ですよ、お母さん」と馬淵はいった。

「田打ち桜じゃねんのな」

「仲間だから、よく似てるけど、ちがうんです。ほら、花が田打ち桜よりも大きいでしょう」

「道理で」と母はいった。「田もねえとこに田打ち桜があるのはひょんただと思うてたのせ」

けれども、母は白木蓮という名をすぐ忘れてしまって、最後まで自分では田打ち桜だと思うことにしていたようである。

「七重は、あのテープのなかでお祖母ちゃんと花の数を数えてたっていうけど、お祖母ちゃんは咲いてる花の数で田舎に帰る日をきめようとしてたんだろう?」

馬淵は、もう二度も欠伸あくびみ殺した三女の眠気を醒さましてやるつもりで尋ねた。

「そうなの。十五咲いたら帰ろうかなし、それとも二十咲いたら帰ろうかなしって、なかなかきまらないの。それに、一旦きめても、簡単に変更になっちゃうのよね。白木蓮って、咲きはじめは、一日に一つ、翌日は三つ、というふうに、ゆっくりしたペースだけど、さかりになると、一日に十も咲いたりするでしょう。それで、たとえば、二人で咲いてる花を数えて、十五あったとすると、お祖母ちゃん、あと十五も咲くのはまだまだ先だと思って、三十咲いたら帰ろうかなしっていうの。ところが、一夜明けてみると、花はもう三十になってるのよ。帰郷はたちまち延期」

「そんなときは、帰り支度はとっくにできてるけど、心準備ができてないからって、お祖母ちゃん、よくそういわれたわね」

妻が急須の茶をかえながらそういうと、娘たちは顔見合わせてくすくす笑った。

母は、八十六歳の冬、たまたま暖冬だったために上京を躊躇ためらっているうちに寒波に襲われ、郷里に留とどまっていて脳血栓で倒れた。そうなる前に説得して馬淵が姉と一緒に引き取るべきだったのだが二人のかたくなさに辟易へきえきしているうちに、手遅れになってしまった。

母は寝たきりになって町の県立病院に五年いた。遠くに住んで、なにか急な知らせがあってもおいそれとは動けぬ仕事を抱えている馬淵は、小刻みに別れるつもりで、月にいちどは眠る時間を削って母の様子を見に帰っていた。

五年目、といえば母の生涯の最後の年だが、春、いつものように母を訪ねて枕許まくらもとの円い木の椅子に腰を下ろしていると、自由になる右腕を馬淵の首に巻きつけ、引き寄せて、

「お前方めほの田打ち桜は、はあ、咲いたかえ?」

呂律ろれつの怪しくなった口で囁いた。

( 5 )「ええ、ぼつぼつ咲きはじめたようです

馬淵はそう答えながら、出がけに一枝折ってくるのだったと思ったが、もはや後の祭りであった。



三浦哲郎. 燈火(ともしび)
.




問1

( 1 )何日かすると、馬淵には馴じみの深い郷里の産物を土産に、母がいそいそとやってくる。とあるが、この表現から読み取れる母の様子として最も適切なのは、次のうちではどれか。

ア 思ったより早く孫の家に呼ばれたため、旅行の準備は簡単に済まし、家にあった息子のよく知るものを土産にして慌てて上京してくる様子

イ 体調が悪く孫に会えるか不安だったが、旅行ができるくらいにまで回復し、息子にとってなつかしい品を持って喜んで上京してくる様子

ウ 急に孫に会いたいと言ったが、旅費まで用意してもらえたので、恐縮しつつも息子の好物を土産にしてうれしそうに上京してくる様子。

エ 孫の顔を見ることができず元気を失っていたが、孫に会えることになり、息子の慣れ親しんだ品を持って心躍らせながら上京してくる様子


問2

「( 2 )......そうでした、お父さん?」と長女が首をかしげながら馬淵に訊いた。とあるが、「長女が首をかしげながら馬淵に訊いたわけとして最も適切なのは、次のうちではどれか。

ア 白木蓮の名前を最後まで憶えることができなかった祖母を笑って話す妹の姿が腹立たしく父にたしなめてもらおうと考えたから

イ 祖母は白木蓮が好きだったのに名前を憶えることができなかったという妹の話を信じられず父に事実を確かめようと考えたから

ウ 白木蓮の名前を祖母はそもそも憶えるつもりがなかったという妹の指摘に疑問を覚え父に本当のことを話してもらおうと考えたから

エ 祖母の思い出が曖昧になっている妹をかわいそうに思い実は祖母が花の名前を憶えていたことを父から説明させようと考えたから


問3

( 3 )馬淵は遠くなった記憶を引き寄せながらいったとあるがこの表現について述べたものとして最も適切なのは、次のうちではどれか。

ア 辛夷を買ったときの状況を話すうちに徐々に記憶が鮮明になっていく馬淵の様子を、順序立てて説明的に描くことで表現している。

イ 家族と話しながら植木市に行った頃の思い出にふけっている馬淵の様子を、感覚的な言葉を用いて鮮やかに描くことで表現している。

ウ 当時の様子を思い出しながら自分自身でも確かめるように家族に話す馬淵の様子を、たとえを用いて巧みに描くことで表現している。

エ 家族に話している現在の馬淵の様子と植木市に行った当時の馬淵の様子とを、対比を用いて丁寧に描き分けることで表現している。


問4

( 4 )この樹は、辛夷ではないが、人間なら血液にも等しい辛夷の樹液が流れている。とあるが、この表現から読み取れる馬淵の様子として最も適切なのは、次のうちではどれか。

ア 辛夷を買えないことが心残りではあったが、辛夷に似た花が咲く白木蓮ならば母は好きになると考え、持ち帰ることを決心している様子。

イ 辛夷でないのは残念だが、この白木蓮は本質的な部分では辛夷と同じ特別な木だと思い、庭に植えるのにふさわしいと確信している様子。

ウ 辛夷が庭木に向かないということは知らなかったが、育てやすい白木蓮を紹介してくれたので、職人風の男の優しさに感謝している様子。

エ 辛夷に接ぎ木した白木蓮を、職人風の男から矢継ぎ早に勧められて断れなくなり、買うための理由を考えて自分を納得させている様子。


問5

「( 5 )ええ、ぼつぼつ咲きはじめたようです」とあるが、このときの馬淵の気持ちに最も近いのは、次のうちではどれか。

ア 花は咲いたかと懸命に確かめようとする母の言葉を聞いて、毎年孫と眺めていた田打ち桜をもう一度見たいと強く望んでいるのだと思い、せめて花だけでも採ってきて見せてやればよかったと悔やむ気持ち。

イ 花は咲いたかと無理をして尋ねる母の言葉を聞いて、部屋にいて季節が感じられず田打ち桜の様子を知りたいのだと考え、家を出る前に枝の手入れをして花の咲き具合を見ればよかったと反省する気持ち。

ウ 花は咲いたかとつぶやく母の言葉を聞いて、病気のために田打ち桜を見にいくことはできないだろうと弱気になっていると感じ、母を励まして元気にするために次は花を持ってこようと意気込む気持ち。

エ 花は咲いたかと控えめに話す母の言葉を聞いて、互いに好きな田打ち桜の様子を聞くことで会話を弾ませたいと考えていることに気付き、花の様子が分からず適当に答えることを後ろめたく思う気持ち。


東京都立高校 2019 大問3 解答

【大問3 物語文 解答】

物語文。文章を読みながら内容理解を問います。文章の前後から、登場人物の心情・意図を読解しましょう。文章内容は、昭和時代から平成時代にかけて、1人の父親の、亡くなった田舎の母親への思いを描いています。

問1 
問2 
問3 
問4 
問5 

東京都立高校 2019 大問4

【大問4 説明文+作文】

次の文章を読んで、あとの各問に答えよ。


美しい自然を見て「絵みたいな景色だ」といういい方がある。それは現実のものとは思えないほどの美しい形や色、それらの絶妙な配置に対る賛辞だ。そもそも美とは何か、という問題は、美学などの分野で様々論じられているので追究しない。ただ、自分のそれまでの概念を超えるような風景に出会うと、感動を覚える。さらに自分の概念をはるかに超える美しい風景に出会うと、今度は「筆舌に尽くしがたい」になる。(第一段)

絵や写真の中では、見たことのない景色、見たことのない生き物や食べ物、見たことのない美しい服をまとった異国の人物に出会うことができる。子供と同じように、新たなモノを知り、新たな世界を知ることは純粋に楽しい。普段の自分の生活からかけ離れた空間やモノの存在を知ることで、世界が今ここにある狭い範囲だけではないのだと心が軽くなることもある。しかも絵は、現実の風景そのままではなく、いらないものを排除し、足りないものを付け加えることができる。そうすることで自然の美しさをより際立きわだたせることができる。(第二段)

描かれているのは、ある瞬間にある空間で切り取った作者のフィルターを通して見た世界だ。画家もまた、見たモノをそのまま描いているのではなく、知っているモノを描いているのだ。そのフィルターによって、ありきたりの風景やモノの知らなかった一面、普段は目を向けないような部分に、気付かされることもある。( 1 )知っているモノについての新たな概念が加わる、新たに「知る」喜びだ。(第三段)

もちろん、アートは美しい自然をそのまま表現するだけでない。写実性とは異なる表現のなかにも実物以上のリアルさを感じはっとすることもある。印象派をはじめ、美術作品の様々な表現がわたしたちの心に美を感じさせるのは、モノを見るときのわたしたちの視覚特性や脳の機能に関連しているかららしい。(第四段)

作品を見るとき、わたしたちはアーティストのフィルターを通して抽出された新しい見え方に出会うことができる。同じようなモチーフを描いても、まるで印象が違う。技法の違いももちろんあるが、それぞれの見方が抽出されているからこそ、多様性があり、見る人にも異なる気付きが得られるのだろう。(第五段)

そもそも絵という概念をくつがえすような新しい表現もある。画材や技法の発明は、その新たな表現の開発を助けてきた。たとえば油絵の発明によって実物そっくりの写実的な表現ができるようになったことは、当時の人びとに相当な驚きをもたらしたという。さらに絵は、想像上の生物や風景のような、実在しないものを表現することができる。様々な宗教が宗教画を生み出してきたのは、そうして特別な概念や知識を共有することがヒトの心に大きな影響を与えるからなのだろう。(第六段)

このように、アートの作用は、自分がもっていた「何か」の概念に新しい要素を加えるなど、気付きをもたらすことであるように思う。それによって、わたしたちの世界に広さや深さがもたらされる。(第七段)

もちろんアートは、美しいモノを美しく表現するだけではない。美しくないモノの美しさも表現できるし、よく知っているモノの姿が、まったく別のモノとして表現されていることもある。絶対にありえない物体をまことしやかに表現してあったり、ありえないモノが組み合わさったりした表現は独特の違和感や不安定感をもたらす。自分のもっていた「何か」の概念を逸脱し、ときにくつがえすモノに出会ったとき、わたしたちは驚き、戸惑う。( 2 )そこで既存の概念を揺るがし、概念が更新される過程が、わたしたちの心に深い印象を刻み付けるのだろう。(第八段)

わたしたちがモノを見るとき、感覚からのボトムアップ的な情報処理だけでなく、トップダウン的な処理もおこなっている。文脈が与えられると、トップダウン的な処理に影響を及ぼして、モノの見え方まで変わる。絵に添えられたタイトルは直接的に文脈を与える。パイプを描いた下に「これはパイプではない」と併記した絵のように、言葉の文脈を逆手にとって、概念を裏切る絵もある。(第九段)

多義図形[色々な形に見えてしまう図形]を見るとき、一つの見立てをしているときには、同時に別の見立てはできない。しかもいったん「何か」として見てしまうと、その見方から離れて別の見方をするには、意識的な努力が必要だ。しかしそこで新たな気付きができると、新鮮な喜びがある。アートは、その転換のきっかけを与え、既存の概念をくつがえしてくれることであるように思う。(第十段)

そしてアートは、そもそも何だか分からないもの、「何か」であることを拒否するようなものであることも多い。目に入る全てを常に「何か」とて見ようとするヒトの記号的な見方は、そこでも発揮される。簡単に「なにか」として分類できないようなものに対峙たいじするとき、ヒトは心の底にあるより深いイメージを探し、掘り起こそうとする。心理検査で用いられるロールシャッハ・テストなどの投影法は、しみのようなあいまいな形を用いることで、この性質を利用しているのだろう。抽象絵画のように「何か」が分からないものを見たときにも、わたしたちの心では、同じようにイメージの探索が起こっているはずだ。(第十一段)

はじめて樂茶碗らくぢゃわんを見たときのことだ。千利休せんのりきゅうの好みであり、侘び寂びわびさびを代表するような茶碗。ろくろを使わず手で成形する「手づくね」によるゆがんだ形に、釉薬ゆうやく[お茶わんや花びんなどの陶磁器に塗る薬剤]を何度も重ねてつくる、深く照りのある黒が黒樂茶碗の特徴である。茶碗の見方など知らなかったが、ただ微妙な色合いのむらとその質感が美しく感じられて、とくに気に入った茶碗をしばらく眺めていた。やがて、20~30分たったころだろうか、茶碗の表面にふう~と夕闇にわき立つ雨雲が見えてきた。(第十二段)

「何か」分からない作品を見つめていると、頭の中でイメージの探索がおこる。そこで気付きがあったものは、深く印象に残る。そのとき掘り起こされるのは、単に視覚的なモノのイメージだけではない。ヒトは、異種感覚間の変換が得意であり、視覚から肌触りや音を想起したりするさらに、それに付随したエピソード記憶や情動が呼びおこされることもある。(第十三段)

忘れていた記憶や記憶にならない記憶、それに付随する情動だけが呼びおこされることもあるのだろう。作品を見て感動するとき、心がざわつくとき、具体的な知識やエピソード記憶とは結び付かなくても、何らかのイメージや記憶がときに水面下で掘り起こされ、そのときの情動もともに呼びおこされているのではないだろうか。(第十四段)

作品とじっくり向き合うことは、そうやって自分の知識や記憶を探索することでもある。見ること自体がすでに創造的作業であり、努力を要するものだ。( 3 )アートは、制作する人だけでなく、鑑賞する人にもその創造的作業をうながす。(第十五段)

とはいってもいくら見ても結局「何か」が分からないままであることも多い。分からないままでいることは、「何か」として分類して見ようとするわたしたちの心に不安定な感じをもたらす。しかし、「何か」がわからないものに向き合い、自分の中のイメージを探索する過程にこそ、アートの醍醐味だいごみがある。(第十六段)

齋藤亜矢. ヒトはなぜ絵を描くのか.




問1

( 1 )知っているモノについての新たな概念が加わるる新たに「知る」喜びだ。とあるが、「新たに『知る』喜び」とはどういうことかか次のうちから最も適切なものを選べ。


ア 作者のフィルターを通して現実に何かを加えたり排除したりした絵と出会うことでで美しさを引き立てる技法に驚き、感心するということ。

イ 見たことのないモノを作者のフィルターを通した絵で初めて見て、現実の世界の広さを認識するとともに、異国の生活に夢を抱くということ。

ウ 作者のフィルターを通して抽出された絵や写真から、有り触れた風景やモノに対する自分の考えを超えた一面に気付き、感動するということ。

エ 美しい自然を見ることでで作者のフィルターを通しても絵や写真は現実を超えられないと改めて認識し、自然の偉大さを実感するということ。



問2

( 2 )そこで既存の概念を揺るがしし概念が更新される過程が、わたしたちの心に深い印象を刻み付けるのだろう。とあるが、筆者がこのように述べたのはなぜか。次のうちから最も適切なものを選べ。

ア 既存の概念をくつがえすような表現に驚いたり戸惑ったりすることで、心に広さや深さが生まれて大きな影響が与えられると考えたから。

イ 画材等の発明により新たな表現が開発されることで、既存の概念を逸脱したようなモノも表現できるようになり衝撃を受けると考えたから。


ウ 美の強調やありえないモノの表現など既存の概念を超える過剰な表現が増すことででトップダウン的に作品を見るようになると考えたから

エ 既存の概念をモチーフに描いた同じ作者の作品から異なった印象を⑴受けることで、作者の技術に違和感や不安定感を覚えると考えたから



問3

この文章の構成における第十二段の役割を説明したものとして最も適切なのは、次のうちではどれか。

ア それまでに述べてきたヒトの記号的な見方を受けて、体験を基にした複数の事例を列挙することで論旨を分かりやすくしている。

イ それまでに述べてきたヒトの記号的な見方について、筆者の経験に基づいた具体的な事例を挙げることで論の展開を図っている。

ウ それまでに述べてきたヒトの記号的な見方に関して、それに反対する立場から対照的な事例を示すことで別の見解を提示している。

エ それまでに述べてきたヒトの記号的な見方に対して、事例を基に作品を理解するための要件を整理することで問題点を明確にしている。



問4

( 3 )アートは、制作する人だけでなく、鑑賞する人にもその創造的作業をうながす。とあるが、筆者がこのように述べたのはなぜか。次のうちから最も適切なものを選べ。

ア 作者が長い時間をかけてアートを完成させるように、見るヒトにとってアートは、「何か」分からないものに対するイメージを、自分の知や記憶から長い時間をかけて探索して捉えるものだと考えたから。

イ 作者が自分の人生をアートに表現しているように、、見るヒトにとってアートは、「何か」分からないものーつーつについて、作者の生い立ちや趣味など調べたことを基に分析して捉えるものだと考えたから。

ウ 作者がひらめきによって独創的なアートを生み出すように、見るヒトにとってアートは、「何か」分からないものを分かろうと努力するもではなく、出会った瞬間のひらめきによって捉えるものだと考えたか

エ 作者がフィルターを通して見た世界をアートに表すように、見るヒトにとってアートは、自分の知識や記憶を探索し、「何か」分からないのを何らかのイメージなどと結び付けて捉えるものだと考えたから。


問5 作文

国語の授業でこの文章を読んだ後と「新しい何かに出会うこと」というテーマで自分の意見を発表することになった。

このときにあなたが話す言葉を具体的な体験や見聞も含めて二百字以内で書け。

なお、書き出しや改行の際の空欄、読点(、)や句点(。)なども、それぞれ字数に数えよ。

東京都立高校 2019 大問4 解答

【大問4 説明文+作文 解答】

説明文。文章を読みながら、内容理解を問います。筆者の説明から、概念がどのようなものなのか読解しましょう。文章内容は、アートがどのようなものであり、人間の脳の仕組みとともに考察しています。説明文の内容を踏まえて、例年、200文字の作文が課されます。

問1 
問2 
問3 
問4 


問5 


解答例
 私は最近、両親が田舎に帰り、一人で家を切り盛りするという経験がありました。それまでは両親に家事を依存していましたが、いざ両親がいなくなると、家のあちこちを自分で整理しなければいけなくなりました。

 筆者が主張しているように、いつもは何も思わない自分の家を、新しい視点で見れて、興奮しました。これからも私は、自分がしたことのない体験に、積極的に参加して、さまざまな視点で物事を考えられるようになりたいです。

(200文字)

解答例
 私は最近、新しい犬を飼うという経験がありました。それまでは気が付かなかった道路や公園が、犬にはどのように見えているかを考えるようになりました。

 筆者が主張しているように、犬を飼うことで、自分の視点だけではなく、犬の視点でも世界が見れるようになった気がします。これからも私は、自分がしたことのない体験に、積極的に参加して、さまざまな視点で物事を考えられるようになりたいです。

(188文字)


解答例
 私は最近、部活用品を購入するという経験がありました。それまではただそこに置いてある部活用品も、誰かが購入して運んできていただけると、知りました。

 筆者が主張しているように、自分で部活の環境を整えることで、自分の視点だけではなく、周りの人間の視点でも世界が見れるようになった気がします。これからも私は、自分がしたことのない体験に、積極的に参加して、さまざまな視点で物事を考えられるようになりたいです。

(199文字)


解答例
 ある雑誌で私の住む町が特集されていました。その雑誌の中の写真を見た時、「本当に、私の住む町なの」とおどろきました。よく知っている景色が、まるで映画の一場面のような、げん想的な世界に見えたからです。 

 筆者は、写真は作者のフィルターを通して見た世界だと述べています。私はこの写真から町の新たな一面に気付かされました。見慣れたものにも知らないよさがあることを意識し、様々な見方をしていきたいと思います。

(200文字)

都立高校 作文 書き方

【都立高校 作文 書き方】
東京都立高校の国語入試では、毎年、200文字の作文が出題されます。以下のような採点基準に気を付けましょう。


【都立高校 作文 採点基準】

採点基準注意点
言葉遣い漢字間違いがないか?
内容自分経験が欠けているか?
理解作者の主張を理解できているか?
構成段落分けができているか?



言葉遣い:漢字間違い・送り仮名・読点(、)・句点(、)に注意しましょう。数字は漢数字で書きましょう。

理解:自分の経験を必ず入れましょう。中学生の身近な出来事で大丈夫です。

理解:筆者の主張と、どこかが似ているのか、必ず書きましょう。

構成:段落分け、必ず1回しましょう。段落の始めは、1文字開けてから書きましょう。



【都立高校 作文 書き方1 自分の体験】

まずは自分の体験を書きます。

書き出しは「私は最近、○○という経験があった」です。

私は最近、両親が田舎に帰り、一人で家の切り盛りするという経験がありました。それまでは両親に家事を依存していましたが、いざ両親がいなくなると、家のあちこちを自分で整理しなければいけなくなりました。

私は最近、新しい犬を飼うという経験がありました。それまでは気が付かなかった道路や公園が、犬にはどのように見えているかを考えるようになりました。

私は最近、部活用品を購入するという経験がありました。それまではただそこに置いてある部活用品も、誰かが購入して運んできていただけると、知りました。



【都立高校 作文 書き方2 筆者の主張】

続いて、段落を変えて、筆者の主張と自分の体験は、どこが似ているのかを、書きます。

書き出しは「筆者が主張しているように」です。

筆者が主張しているように、いつもは何も思わない自分の家を、新しい視点で見れて、興奮しました。

筆者が主張しているように、犬を飼うことで、自分の視点だけではなく、犬の視点でも世界が見れるようになった気がします。

筆者が主張しているように、自分で部活の環境を整えることで、自分の視点だけではなく、周りの人間の視点でも世界が見れるようになった気がします。


【都立高校 作文 書き方3 まとめ】

最後に、まとめとして、未来への抱負を書きます。

書き出しは「これからも私は」です。

これからも私は、自分がしたことのない体験に、積極的に参加して、さまざまな視点で物事を考えられるようになりたいです。

東京都立高校 2019 大問5

【大問5 古文】

以下には3本の文章があります。

文章Aは、サクラを関する対談の一部です。

文章Bは、対談中で出てくる「伊勢物語」の「渚院」の原文の一部です。

文章Cは、文章Bの現代語訳です。

これらの文章を読んで、あとの各問に答えよ。


【大問5 古文 文章A】

白洲しらす:桜は、やっぱり古今集[古今和歌集の略称]でございますか。

大岡:何といっても、業平[在原業平ありわらなりひら。平安時代の歌人で有名な美男子]の桜、小町[小野小町おのこまち。平安時代の歌人で有名な美女]の桜はすばらしいですね。

白洲:業平は、いい桜の歌がありますね。

大岡:業平の桜は、いいと思います。紀貫之きのつらゆき[古今和歌集の編者で平安の和歌世界の大御所]らの、いわゆる選者時代、古今集を編纂へんさんしたあの当時になると、桜の花は、それを歌わなければ歌人ではないというくらいに公的な花になっていると思うんですね。でも、業平とか小町の時代[紀貫之よりも前の時代]というのは、それからかなり時間がさかのぼりますから、あの人たちはそんな意識はあまりなくて、桜の花と直に対面している感じがしますね。

白洲:そうですね。

大岡:( 1 )梅の花から桜の花へ、いってみれば政権交代があるようなんですね、古代から平安期にかけての時期に。あれはどういうんでしょうか、サクラの花の趣味をそういうふうに植えつけた人達がどこかにいるわけなんでしょうけれど・・・。宮中の花の宴は、万葉集時代だと梅の花で宴をやるわけですが、それがしだいに桜の花の宴ということになってくる。最初は梅の花だったらしいんですね。

白洲:嵯峨さが天皇の詩なんかでも・・・。

大岡:あの時期になると、花の宴には梅の場合と桜の場合とあるようなんですね。梅の花を見ながら、酒宴をして詩をむというのは、もちろん中国の電灯をそのまま受け継いでいると思うんですよね。そいう言う意味では、非常に大陸風なんですね。ですからはじめは、当然梅の花が中心だったように思うんです。


白洲:古今集[平安時代成立]と新古今集[鎌倉時代成立]を比べると、桜についていうと古今集の方がいういうしいんでしょうね。

( 2 )大岡:と思います。古今集の場合には、たとえば夢の中で花が散っているという状態を歌っても、非常にふわっとしておおらかなんですよね。たとえば紀貫之の歌で、山寺にもうでて、一夜泊まった歌がありまして

【大問5 古文 和歌 紀貫之】

宿りして 春の山辺に 寝たる夜は

夢のうちにも 花ぞ散りける


[現代語訳:旅先で宿をとって 春の山辺に 寝た夜は 夢の中にまで 昼間に見た桜の花が散っていたのだよ]

大岡:あれは、あれは夢の中で桜が豪華に散っている感じが非常によく出ているんですけれど、西行になると「夢中落花」などという題で有名な

【大問5 古文 和歌 西行】

春風の 花を散らすと 見る夢は

覚めても胸の 騒ぐなりけり


[現代語訳:春風が 桜の花を吹き散らす 夢を見ていて 目が覚めても なおその美しさに私の胸はかき乱されてしまうことよ]

白洲:それと、西行は何を対象に詠んでも、自分のことになる。桜が咲くのが苦しいなんてね。

大岡:そうですね。あの人にはどうも桜の歌が二百首ぐらいあるらしいんですね。

( 3 )白洲:だから、本当に好きだったんですね。吉野山よしのやま[奈良県の名山の。京都から南になり、吉野山へ修行へおもむく]にもこもっちゃうぐらいだから。紀貫之にも、桜はたくさんございますか。

大岡:ございます。

白洲:渚院なんてのがありましたね。紀貫之は土佐日記[紀貫之が京都から土佐国司(高知県知事)へ赴任した時代の出来事を執筆した日記]の帰りに・・・。

大岡:帰りに渚院なぎさいんを通るんですね、ながめながら、淀川よどがわ[琵琶湖から大阪湾へと流れる河川]をさかのぼるとき彼の頭にあったのが渚院にゆかりのあった尊敬する古人業平のことで、業平の歌を引いているんですね。伊勢物語に出ているのによると、桜の名所の交野かたのに桜を見に行くんだけれど、花を見るのはいいかげんにしてみんないそいそと酒を飲んで、歌を詠む。

白洲:花より団子ね。



白洲正子 大岡信. 桜を歌う詩人たち.




【大問5 古文 文章B】

むかし、惟喬親王これたかしんのうと申すみこ( ア )おはしましけり。山崎のあなたに、水無瀬みなせといふ所に宮ありけり。年ごとの桜の花ざかりには、その宮へなむおはしましける。その時、右の馬のかみなりける人を、常にておはしましけり。

時世経て久しくなりにければ、その人の名忘れにけり。狩はねむごろにもせで、酒をのみ飲みつつ、やまと歌にかかれりけり。いま狩する交野の渚の家、その院の桜、ことにおもしろし。その木のもとにおりゐて、枝を折りて、( イ )かざしにさして、かみ、なか、しも、みな歌よみけり。馬の頭なりける人のよめる。

【大問5 古文 和歌】

世の中に えてさくらの なかりせば

春の心は のどけからまし


[現代語訳:世の中に桜がまったくなかったならば、惜しい花が散りはせぬかと心を悩ませることもなく、春をめでる人の心は、のどかなことでありましょう]

となむ( ウ )よみたりける。また人の歌

【大問5 古文 和歌】

散ればこそ いとど桜は めでたけれ

憂き世うきよになにか 久しかるべき


[現代語訳:散るからこそますます桜はすばらしいのです。悩み多いこの世に、何が久しくとどまっているでしょうか、何もないではありませんか。だから散るのも当然、ことにわずかのりの桜の華やかさを愛すべきです]

とて、その木の( エ )もとは立ちてかへるに日暮になりぬ



【大問5 古文 文章C】


昔、惟喬親王と申し上げる親王[皇族の男子=西洋の王子様のこと]がおいでになった。山崎の向こう、水無瀬という所に、離宮[宮=皇族の住居のこと]があった。毎年の桜の花盛りには、その離宮へおいでになったのだった。その時、右の馬の頭[指導者や役職者]であった人を、いつも連れておいで[率る=一緒に連れていく]になった。いまでは、だいぶん時がたったので、その人の名は忘れてしまった。

鷹狩はそう熱心にもしないで、もっぱら酒を飲んでは和歌を詠むのに熱をいれていた。いま鷹狩をする交野の渚の家、その院[建物の名称]の桜がとりわけ趣がある。その桜の木のもとに馬から下りて、桜の枝を折り、髪の飾りに挿して、上、中、下の人々[人間の地位のこと]がみな、歌を詠んだ。

馬の頭だった人が詠んだ。

世の中に たえてさくらの なかりせば

春の心は のどけからまし


もう一人の人が詠んだ歌

散ればこそ いとど桜は めでたけれ

憂き世になにか 久しかるべき


という次第で、その木の下は立ち去って帰るうちに、日暮れになった。




問1 ( 1 )梅の花から桜の花へ、いってみれば政権交代があるようなんですね、古代から平安朝にかけての時期に。とあるが、ここでいう「梅の花から桜の花へ」の「政権交代」について説明したものとして最も適切なのは、次のうちではどれか。

ア もともとは中国の文化を取り入れ梅の花を観賞しながら歌を詠んでいたが、時代の変遷の中で対象が桜の花に替わっていったということ

イ かつて花の宴といえば梅の花であったが、ある時期から梅と桜の区別がなくなり同じ花として扱われるようになっていったということ。

ウ 昔は大陸の影響から梅を歌にしたが、業平たちの時代には桜の歌が歌人の実力を示すものと考えられるようになっていったということ。

エ 古くは梅を観賞することが人々の楽しみであったが、時代が進む中で桜を植えて観賞することが人々の間に流行していったということ。


問2 ( 2 )大岡さんの発言の中で引用されている紀貫之と西行の桜の歌の特徴について説明したものとして最も適切なのは、次のうちではどれか。

ア 紀貫之の歌は桜の花が夢の中で舞う繊細な美しさを描いているが、西行の歌は桜の花が夢の中で散る悲しみを独自の視点で描いている。

イ 紀貫之の歌からは作者のゆったりとした人柄が伝わってくるが、西行の歌からは桜より自分が大切だという利己的な人柄が伝わってくる

ウ 紀貫之の歌は桜が華やかに舞い散る様子を表現しているが、西行の歌は桜の美しさに加えて美しさに心乱される心情をも表現している。

エ 紀貫之の歌には満開の桜を愛する心情が巧みに表現されているが、西行の歌には貫之よりも強い愛情が素直な言葉で表現されている。


問3 ( 3 )白洲さんの発言のこの対談における役割を説明したものとして最も適切なのは、次のうちではどれか。

ア 西行の話に興味を抱きながらも紀貫之の具体例を尋ねることで貫之と西行の共通点を聞き出そうとし、大岡さんの次の発言を促している

イ 紀貫之と西行に関する大岡さんの発言を不思議に思い、桜を題材にした歌の多さを尋ねることで問題の所在を明らかにしようとしている

ウ 大岡さんが述べた西行の生き方を受け、新たな視点として紀貫之についても尋ねることで対談の内容を古今集全体の話題へと広げている

エ 直前の大岡さんの発言に賛同しつつ紀貫之の桜の歌の多さを尋ねることで、話題を西行から貫之の歌に戻して対談を深めようとしている

問4 文中の    線を付けたア〜エのうち、現代仮名遣いで書いた場合と異なる書き表し方を含んでいるものを一つ選び、記号で答えよ。


問5 ( 4 )鷹狩はそう熱心にもしないで、もっぱら酒を飲んでは、和歌を詠むのに熱をいれていた。とあるが、Bの原文において「和歌を詠むのに熱をいれていた」という部分に相当する箇所はどこか。次のうちから最も適切なものを選べ。

ア 常に率ておはしましけり

イ やまと歌にかかれりけり

ウ ことにおもしろし

エ みな歌よみけり







東京都立高校 2019 大問5 解答

【大問5 古文 解答】

古文。3つの文章から構成され、文章Aは古典を巡る対談、文章Bは古文、文章Cは古文の現代語訳です。古文読解ためには、基礎的な単語と文法の習得が求められます。例年、日本文化の重要語句が考察され、今年は「日本文化のなかの桜」が考察されています。

問1 
問2 
問3 
問4 
問5 

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